昭和52年度(1977)第24回現代俳句協会賞 津沢マサ子(つざわ・まさこ

本名同じ。昭和2年、宮崎県椎葉村生まれ。青春期、病を得て療養中、昭和20年頃より句作をはじめ、後藤是山の「東火」に拠る。以後「四季」「東虹」を経てのち感じるところあり西東三鬼の「断崖」に移り添削指導を受ける。この頃、三橋敏雄を識る。「断崖」廃刊後、42年師高柳重信に強引に入門を願い出て「俳句評論」同人となり現在に至る。その間ずっと三橋鷹女の俳句に傾倒、今も変わらない。毎日俳壇賞、第4回俳句評論賞受賞。50年夏刊行した第1句集『楕円の昼』がある。 (現代俳句協会会報No.77 1977年11月)

第24回現代俳句協会賞受賞作  津沢マサ子

(昭和52年度作品)
ロシヤより古き五月に愛をこめ
大空にいとしと芋を煮ころがす
わが友よ粉をかぶりて夜もすがら
瓜二つ抱え都をゆく日あり
夏の野に手足はげしく流されぬ
蒼惶と沼を去る日や抱かれて
犬つれてきたり明日は桜の木
桐咲くや輓馬の想い上空に
街角をけものの曲る春の暮
子の頭撫でて草木を愛しおり
人恋いて飯炊くときや合歓の花
音もなく日が経つ山に種子をまき
異郷の蟹と真昼はげしく煮られたり
渋紙をのばして祖母の日は佳けれ
葉桜のかげに古びし季節くる
汝が空へ下駄向かいいて夏近し
枯れはてて彼方の蒼き昼の花
尾を曳きて真白き船と日は去りぬ
子の頭不安にならぶ夏の空
板の間に桃食ういわれ都晴れ
(昭和51年度作品)
盗賊かもめを愛してきのう絶壁に
息絶えし夏空を載せ俎板は
かえるばを天に敷きつめわが恋は
過ぎる夏戻れば白き飯茶碗
柔らかき毛布に柱哭く日あり
麺棒を吊して秋を如何にせん
夏の日のかなしみを填め食うにわとり
切株に触れば子孫野に満てり
人の名のうねりやまざる夏旬日
空色は褪めつつ母と洗う壜
(昭和50年度作品)
灰色の象のかたちを見にゆかん
泣きながら責めたる母の荒野かな
青空と荒野を愛し子を抱かず
血を流しゆけば幼き晩夏の海
金粉を散らしてわれに墓はなし
故里に声なき昼やもつれあい
岩山の岩を無念の日が過ぎる
日向水かの渤海をさまよわん
暑き日の電柱と愛ほそりゆく
飛魚を焼き草原を失なえり
(昭和49年度作品)
門を出てわれら花見に死ににゆく
水中に棒立つはながきながき朝
きみと会う九月丸太ン棒をわたり
夏大根のひそかにわれをまつ日かな
鶏を飼う真夏の海をしらぬ鶏を
白鳥に半日溺れ母を見ず
くらくらと髪結う愛の日を前に
土手に杭打込み気球あげている
父ゆきし二月は山の容ちせり
頭髪にこころのあつき鷹棲めり

船数へながらすすきの銀の中
つばめ去る空も磧も展けつつ
林檎箱とどきて三日海も平ら
空席があり冬山の紺の襞
潮迅しと葉牡丹の畑より

「現代俳句協会会報 No.77 1977年11月号」より