2015年6月1日 / 最終更新日 : 2019年1月11日 gendaihaiku 現代俳句コラム 北風の少年マントになつてしまふ 高 篤三 評者: 林 桂 高篤三は、明治34年6月2日東京浅草に生まれ、昭和20年3月10日東京大空襲の災禍によって浅草に没した。作品は、生前の個人句集『寒紅』(昭和15年)と合同句集『現代名俳句集第二巻』(阿部青鞋編・昭和16年)で「ほぼ全貌」 […]
2015年5月21日 / 最終更新日 : 2019年1月11日 gendaihaiku 現代俳句コラム いつしよけんめいへこむ薬缶や農具市 蜂須賀薫 評者: 小林貴子 蜂須賀薫さんは一九五九年生まれ、一九九〇年に三十一歳で自ら世を去られた。 信州大学学生俳句会は、はじめの学年に小澤實さん、第二学年に宮脇真彦さん、第三学年にこの蜂須賀さん、第四学年に富樫均さんがおられ、我々は第五学年だ […]
2015年5月11日 / 最終更新日 : 2019年1月11日 gendaihaiku 現代俳句コラム 黄蝶ノ危機ノキ・ダム創ル鉄帽ノ黄 八木三日女 評者: 小林貴子 八木三日女さんは一九二四年生まれ、二〇一四年二月十九日に八十九歳で逝去された。私は一九九三年に八木三日女論を書いたので、訃報に接してアッと思い、懐かしく、悼み偲ぶ思いが今も去らない。 三日女は眼科の医師であり、大阪女 […]
2015年5月1日 / 最終更新日 : 2019年1月11日 gendaihaiku 現代俳句コラム あばら組む幽かなひびき 羊歯地帯 三橋鷹女 評者: 小林貴子 私は三橋鷹女が好きだが、世の人の評価とはほとんど一致しない。前半生で世評の高い、 夏痩せて嫌ひなものは嫌ひなり この樹登らば鬼女となるべし夕紅葉 白露や死んでゆく日も帯締めて 鞦韆は漕ぐべし愛は奪ふべし […]
2015年4月21日 / 最終更新日 : 2019年1月11日 gendaihaiku 現代俳句コラム *(句は本文に) 折笠美秋 評者: 高原耕治 仰向けや 胸森林と 星面感覺 周知のように、折笠美秋は、1982年、筋萎縮性側索硬化症(ALS)を発症し、全身不随となり、僅かに動く口と目のみによって己れの意志を夫人に読み取って […]
2015年4月11日 / 最終更新日 : 2019年1月11日 gendaihaiku 現代俳句コラム *(句は本文に) 大岡頌司 評者: 高原耕治 そよいでは 靜もる笹の葉に 臼處 おそらく、この句の読者は、この句に執着し続ける限り、三行目の「臼處」(うすど)という言葉に、終始、悩まされ続けるであろう。この言葉の意味 […]
2015年4月1日 / 最終更新日 : 2019年1月11日 gendaihaiku 現代俳句コラム *(句は本文に) 高柳重信 評者: 高原耕治 しづかに しづかに 耳朶色の 怒りの花よ 最初に断わっておかなければならないが、表題箇所を米印で塞いであるのは、多行形式による上記の作品をその箇所に多行形式として表 […]
2015年3月21日 / 最終更新日 : 2019年1月11日 gendaihaiku 現代俳句コラム 去年今年貫く棒の如きもの 高浜虚子 評者: 横須賀洋子 年末年始などに引用される有名な句。 「何の変哲もない棒の如きもの、それが去年今年を貫いている。(中略)毎日変わることのない日常、それは絶対自信の生活態度といったようなものであり、その棒は不気味な現実感を帯びてくる」清崎 […]
2015年3月11日 / 最終更新日 : 2019年1月11日 gendaihaiku 現代俳句コラム すすき仰山ありすすき一本あり疲れる疲れる 稲葉 直 評者: 横須賀洋子 当時、二人の師を次々見送り呆然としていた。掲句をよんだとき、自分が芒原に立っているような錯覚を起した。仰山ある芒は何時も一本ある(しかない)芒でもあるのだろう。俳人みたいなものかもしれないと思った。「疲れる」が二度重な […]
2015年3月1日 / 最終更新日 : 2019年1月11日 gendaihaiku 現代俳句コラム 立ち尿る老女の如く恋こがる 山崎愛子 評者: 横須賀洋子 門の前にまた乳母車がある。空地に入ってゆく彼女、二度目だ。夏草に身を沈めて、しばらくすると放尿の音が聞こえてくる。 戻った彼女は儀礼のような会釈をして去る。臆する色もなく乳母車を押してゆく後姿を呆然と見送りながら、何故 […]