黄蝶ノ危機ノキ・ダム創ル鉄帽ノ黄 八木三日女 評者: 小林貴子

 八木三日女さんは一九二四年生まれ、二〇一四年二月十九日に八十九歳で逝去された。私は一九九三年に八木三日女論を書いたので、訃報に接してアッと思い、懐かしく、悼み偲ぶ思いが今も去らない。
 三日女は眼科の医師であり、大阪女子高等医学専門学校(現・関西医科大学)在学中に平畑静塔に師事し、俳句を始めた。戦後、前衛俳句の女性旗手と目され、「海程」同人として、また自身「花」を創刊主宰し、俳句の新たな可能性を模索し続けた。代表作はもちろん、〈満開の森の陰部の鰓呼吸〉である。だが、この一句のみで語られるのは惜しい。
 掲出句は一九六〇年作。日本は高度経済成長時代を迎え、道路整備、ビル建設、ダム建設などの最盛期を迎え、国中が掘り返されていた。ダム建設には集落水没などの犠牲を強いることもあり、自然破壊に対する危機意識が文芸の主題の一つとなっていた。この句では「危機」の具象化として「黄蝶」が選ばれている。前半「黄蝶ノ危機ノキ」と、後半「ダム創ル鉄帽ノ黄」は黄色の共通項によって導き出されて結ばれ、「・」によって等価のものとなり、天秤ばかりの左右の皿のように釣り合っている。私はそう読んでいた。ところが『鑑賞女性俳句の世界 第四巻』(角川学芸出版)で三日女の項を執筆した森田智子氏は「ここで、人名と思しきキ・ダム。これは、言葉が言葉を生み出すといったものかと思ったが、念のために調べると、「キ・ダム」はラテン語で名もなき通りすがりの者の意とあった」と解説されている。この解釈は私には分りにくい。あなたは分りますか。
 なお、私は、三日女の〈蝙蝠のはばたきで塗るアイシャドウ〉の句にも心惹かれていた。しかし、ふと思うに、この句の内容は「マスカラ」が正しいのではないだろうか。マスカラを塗る時は睫毛に器具を近づけて、しきりにまばたきをして睫毛にマスカラを付着させる。その時のまばたきは、まさに「蝙蝠のはばたき」以外の何ものでもない。

出典:『赤い地図』(一九六三年・縄の会)

評者: 小林貴子
平成27年5月11日