あばら組む幽かなひびき 羊歯地帯 三橋鷹女 評者: 小林貴子

 私は三橋鷹女が好きだが、世の人の評価とはほとんど一致しない。前半生で世評の高い、
  夏痩せて嫌ひなものは嫌ひなり
  この樹登らば鬼女となるべし夕紅葉
  白露や死んでゆく日も帯締めて
  鞦韆は漕ぐべし愛は奪ふべし
 などは、当り前のことをことさら大袈裟に表現しているようで、どうも好きになれない。
  踊るなり月に髑髏の影を曳き
  髑髏で 花嫁 八つ手の笄頭に重く
 中世キリスト教でいう「メメント・モリ」「死を思え」を映像化し、花嫁と骸骨がダンスする絵画、それを俳句に写し取ったようなこれらの句から、心惹かれるようになる。
  とかげ瑠璃色長巻く日本の帯銀無地
 「長巻く日本の帯銀無地」は日本女性の和装の美しさを表現しているが、「とかげ瑠璃色」との取り合せにより、帯をだらりと後ろへ垂らした女性がにわかに蜥蜴にすりかわって見えてくるところがスリリングである。
  虹へ小刻み 亡母を背にゆすりあげ
  梅干ひとつぶ 骨壺を掻きまはし
  種子を蒔く眼に眼球を押し戻し
  墓ともちがふ匂ひただよふそこは貝塚
 頭掲句とこれらの句群を、私は愛誦してやまない。人体はすでにばらばらになっている。もう一度あばらを組み立てようとする音がかすかに響く。そこは羊歯の生える湿地帯である。羊歯とあばら骨の形状に類似点があることから、イメージは補強され重層化する。眼球を、もう一度眼窩へと押し戻す。虹へ向かって小刻みに歩く、その背には亡き母が負ぶさっている。梅漬の壺から梅を取り出そうとしているのに、いつか骨壺を掻き回している。
 白骨の散らばるばかりの死後の景がこれほど鮮やかに俳句に詠まれた例を他に知らない。自己の内なる徹底した孤独と対峙しなければ、こうした発想は生まれない。特異な感覚を生かし、タナトス(死の本能)を書き切った作品と捉える。

出典:『羊歯地獄』(一九六一年・俳句評論社)

評者: 小林貴子
平成27年5月1日