2015年2月21日 / 最終更新日 : 2019年1月11日 gendaihaiku 現代俳句コラム 冬蜂の死に所なく歩きけり 村上鬼城 評者: 照井 翠 初学の頃に出会って以来、ずっと私の心に棲みついている一句。 冬の寒さのなか、命が尽きかけ飛ぶこともできない蜂が、ただよろよろと歩を進めている。歩みをやめたかと思うと、また思い出したかのように動く。その弱々しい歩みが、 […]
2015年2月11日 / 最終更新日 : 2019年1月11日 gendaihaiku 現代俳句コラム 貌が棲む芒の中の捨て鏡 中村苑子 評者: 照井 翠 一読、女性の性(さが)や情念のようなものを感じる一句である。 芒の中に捨てられた鏡。群れ茂る芒の茎の合間から、その鏡の面が見えている。その鏡に、貌が棲むというのだ。シュールで耽美的な世界に誘われる。 この句のどこに […]
2015年2月1日 / 最終更新日 : 2019年1月11日 gendaihaiku 現代俳句コラム 夢に見れば死もなつかしや冬木風 富田木歩 評者: 照井 翠 富田木歩は、2歳の時に高熱を発したあと、両足がきかなくなり歩行不能となった。身体の障害と貧困ゆえに小学校に通うことができず、かるたやめんこで文字を覚えた。姉たちは花街に身を売られ芸妓となり、父が亡くなり、弟が結核で逝き […]
2015年1月21日 / 最終更新日 : 2019年1月11日 gendaihaiku 現代俳句コラム 鶏たちにカンナは見えぬかもしれぬ 渡邊白泉 評者: 山田征司 「句と評論」(昭和十年十月号)に「三章」と題して発表。前後に〈向日葵と塀を真赤に感じてゐる〉〈まつさおな空地に灯りたる電灯〉白泉の代表句だけに様々に鑑賞されてきた。 句意としては、「赤い鶏冠をもつ鶏たちには、誰の眼に […]
2015年1月11日 / 最終更新日 : 2019年1月11日 gendaihaiku 現代俳句コラム うしろすがたのしぐれてゆくか 種田山頭火 評者: 山田征司 昭和六年十二月三十一日の日記の末尾に記された十三句中の一句。続いて〈右近の橘の実のしぐれつつ〉〈大樟も私も犬もしぐれつつ〉とある。 数日前の日記には、職業的行乞への疑問と、それに頼らざるを得ない現実、「酒、酒、酒ゆえ […]
2015年1月1日 / 最終更新日 : 2019年1月11日 gendaihaiku 現代俳句コラム 鞦韆をゆらして老を鞣しけり 八田木枯 評者: 山田征司 黒澤明監督の「生きる」のラストシーン、ブランコに揺られる名優志村喬の深く哀しげな微笑と「ゴンドラの唄」、名場面が感動と綯い交ぜに蘇る。とは言え、共に老を語って半世紀余はさすがに永い、その在り様は大いに異なる。 収録の […]