*(句は本文に)  折笠美秋 評者: 高原耕治

      仰向けや
      胸森林と
      星面感覺
 
 周知のように、折笠美秋は、1982年、筋萎縮性側索硬化症(ALS)を発症し、全身不随となり、僅かに動く口と目のみによって己れの意志を夫人に読み取ってもらい、続々と多行作品を書き続けた。掲句はそのうちの一句である。「胸森林と」や「星面感覺」という措辞には、「仰向け」に人工呼吸器を装着させられた時に自覚せざるを得なかった折笠美秋の肉感や心理様態、畢竟、現存意識が如実に表象されているが、それがひしひしと読み手の胸を打ち、ひんやりとした霊気のようなものが、沈みがちに迫ってくるのは、この句が多行形式によって書かれている、即ち《改行》による断絶とそれに続く《空白》が強靭に機能しているからである。それにつけても、私の推測を痛々しく刺激して止まないのは、不治の難病に侵された折笠美秋が、暗く閉ざされた孤絶の淵で、多行形式との切り結びにおいて、いつの頃からか、得体の知れぬ《空性》を徐々に触知していったのではないかということだ。こうした存在の危機と《空性》の自覚が多行形式発生の最大の契機、また最大の根拠となるからである。
 或る日の昼下がり、テレビ画面に、病院の中庭で車椅子に乗って夫人に付き添われた折笠美秋の顔がアップで映し出されていた。「現在の心境は?」というテレビ局のインタビューに、彼は頬を紅潮させ、夫人の〈通訳〉を通し、しきりに訴えるようにこう述べた。「ボ、ボクハ、ボウ、ケン、ボウケン、ヲ、シテ、イルノデス」。詩を生きる、とはそういうことなのではないか。何も、紙の上に書き連ねた言葉にのみ詩が宿るわけではない。古来、詩とは、人智には計り難い、得体の知れぬものに挑むこと、「ボウケン」することだったのではないか。
 

出典:『火傳書』平成元年春分 騎の會発行

評者: 高原耕治
平成27年4月21日