去年今年貫く棒の如きもの 高浜虚子 評者: 横須賀洋子

 年末年始などに引用される有名な句。
「何の変哲もない棒の如きもの、それが去年今年を貫いている。(中略)毎日変わることのない日常、それは絶対自信の生活態度といったようなものであり、その棒は不気味な現実感を帯びてくる」清崎敏郎著『高浜虚子』、山本健吉は老虚子会心の作、大野林火も絶讚している。昭和二十五年十二月二十日新春放送用に作られたこの句への評価は大方似通ったものだった。
 かねて、変哲もない棒のような去年・今年と定説化された鑑賞だけでは勿体ないと思っていた。「棒」は男性器のメタファーかもしれない。するとこの句からセクシュアルな健康的なイメージが広がってくる。愛し合う営みには、去年の昨日も今年の今日もない。
歌麿・北斎の描いた世界。志功の太り肉の男女はどうだろう。「中七」のよみ過ぎだと「痛棒」を喰らわせられるかもしれない。
だが「棒」には「相棒」や「べらぼう(篦棒)」に「泥棒」もある。絶対の「棒」にすこしの狂気を加えたよみをしたい気もした。
 当時、虚子七十六歳。村井和一は掲句に次のようなパロディーを試みている。
  松すぎて貫く棒をとりはずす  和一(村井和一 H23・3・13逝去)  
 
評者: 横須賀洋子
平成27年3月21日