2007年12月13日 / 最終更新日 : 2019年2月21日 gendaihaiku 現代俳句コラム 雪山をはひまはりゐるこだまかな 飯田蛇笏 評者: 松澤 昭 明治以降の俳句運動の中で、最近とくに再認識したいと思うのは近代俳句の実績であるが、この句はそのうちでも大変高い評価をうけたものである。近代俳句の特色は、その立句ばりにあると言われ、蛇笏のほか前田普羅・村上鬼城・原石鼎ら […]
2007年11月19日 / 最終更新日 : 2019年2月21日 gendaihaiku 現代俳句コラム 墓標立ち戦場つかのまに移る 石橋辰之助 評者: 谷山花猿 「俳句研究」第五巻十二号(昭和十三年十二月号)掲載。年間自選作品としてだされたもので、無季の戦火想望俳句である。このころ、辰之助は新宿帝都座の照明係をしており、西東三鬼・石田波郷・高屋窓秋らが遊びに来てはニュース映画を […]
2007年10月24日 / 最終更新日 : 2019年2月21日 gendaihaiku 現代俳句コラム 羅やなまけごころを大事にす 有冨光英 評者: 加藤光樹 恩師有冨光英の晩年(平成十一年)の作品。最後の句集となった「華景」の最終頁の一句である。「俳句は抒情詩」を標榜し、結社「白」を創立して「象徴性ある俳句」を追求し続けた師は、自句自解の文で「なまけごころ」を文字通りの「怠 […]
2007年10月1日 / 最終更新日 : 2019年2月21日 gendaihaiku 現代俳句コラム きりはたりちようつづれさせちよう芸事 阿部完市 評者: 安西 篤 「きりはたり」は機織虫ともよばれるきりぎりすのこと。「つづれさせ」はこおろぎ。「ちよう」がちょっとわからないが、最近の若者言葉の「すごく…」を意味する俗語のようにも思える。阿部俳句は言葉の意味や情趣を排除して、直感的な […]
2007年7月30日 / 最終更新日 : 2019年2月21日 gendaihaiku 現代俳句コラム 負の数(すう)の幾桁もある夏の草 和田悟朗 評者: 安西 篤 第五句集『法隆寺伝承』所収。作者は化学者で、長年、物質や数式に馴染んできた。だから、物を見るときも、物質の構造や運動としてみるところがあるようだ。 この句の「夏の草」を「負の数の幾桁もある」ものとみる見方には、作者独 […]
2007年7月5日 / 最終更新日 : 2019年2月21日 gendaihaiku 現代俳句コラム 初蝶や少年は血の滲む石 堺 信子 評者: 安西 篤 この句は典型的な隠喩の叙法によっている。まず「初蝶」という主題は、「少年」という副主題に喩えられ、その「少年」は「血の滲む石」というもう一つの隠喩の含意体系をもって、「初蝶」に働きかける。このとき一句の隠喩構造が作動す […]
2007年6月11日 / 最終更新日 : 2019年2月21日 gendaihaiku 現代俳句コラム 黄の青の赤の雨傘誰から死ぬ 林田紀音夫 評者: 安西 篤 第一句集『風蝕』所収。昭和32年の作。「もはや戦後ではない」といわれた頃の都市の華やぎが、雑踏のなかに溢れたカラフルな雨傘に象徴されている。『林田紀音夫全句集』を編集した福田基によれば、〈黄、青、赤〉は自然色でなく原色 […]
2007年5月7日 / 最終更新日 : 2019年2月21日 gendaihaiku 現代俳句コラム きょお!と喚いてこの汽車はゆく新緑の夜中 金子兜太 評者: 安西 篤 第一句集『少年』所収。昭和26年、組合運動から逐われ、日銀福島支店に転勤させられた頃の作。配所のわびしさをまったく感じなかったといえば嘘になるが、日銀を相手に戦ったという高揚感は残っていた。 「きょお!」という汽車の […]
2007年4月19日 / 最終更新日 : 2019年2月21日 gendaihaiku 現代俳句コラム コンチクシヤウ俺ハナニモノ花ノ闇 佐藤鬼房 評者: 安西 篤 平成6年の作。晩年、癌を患い、入退院を繰り返していた頃の心意が露わである。人は、人生で三度「自分は何者」と問いかけるという。青春期、人生の折り返し期、そして晩年。ことに晩年の問いかけは、生死の境にあるだけに痛切なものに […]
2007年4月2日 / 最終更新日 : 2019年2月21日 gendaihaiku 現代俳句コラム 菜の花のどこをくすぐったら光る 村井和一 評者: 安西 篤 菜の花を擬人化して、そのどこかをくすぐったら光ってくるにちがいないとみている。そこには、作者の遊び心と、菜の花へのアニミスティックな親しみが通う。 すでに菜の花は、明るい春の光のなかに息づいているのだろうが、一体あの […]