2014年9月11日 / 最終更新日 : 2019年1月11日 gendaihaiku 現代俳句コラム 鬼灯市や子規に恋の句あればなあ 松田ひろむ 評者: 武田伸一 「鬼灯市」は7月9・10日の両日、東京浅草寺の境内に立つ市で、鉢植えのホオズキを売る。その鬼灯市には、夫婦連れや若いカップルも大勢来ている。そんな光景を目にしながら、ここからそれほど遠くない根岸で、重病に喘ぎながら、寝 […]
2014年9月1日 / 最終更新日 : 2019年1月11日 gendaihaiku 現代俳句コラム 晩年や思うところに猫柳 手代木啞々子 評者: 武田伸一 掲句の作者、手代木啞々子(てしろぎああし)は1904年北海道有珠郡に生まれ、1982年秋田県仙北郡にて没した。俳句では、1932年「曲水」同人、1940年に抒情俳句を提唱して新興俳句系の「合歓」を創刊するも、戦争の圧迫 […]
2014年8月21日 / 最終更新日 : 2019年1月11日 gendaihaiku 現代俳句コラム 毛皮はぐ日中櫻滿開に 佐藤鬼房 評者: 佃 悦夫 昭和二十五年作。終戦後五年といえば、その余燼がくすぶりつづけていた。みな等しく飢えていた。<毛皮はぐ>とのみで動物を特定していないが、毛皮を得るだけが目的なのか、肉も食用にしたのかは定かではない。いかに貧困の時代とはい […]
2014年8月11日 / 最終更新日 : 2019年1月11日 gendaihaiku 現代俳句コラム 家々や菜の花いろの燈をともし 木下夕爾 評者: 佃 悦夫 句意は明らかである。ただ厳密にいえば<菜の花いろ>は比喩であり季語ではないが、春以外には考えられない季節の賜物である。 <家々や>は作者の家をも含めているのだろうが、白熱電球下の卓袱台を囲んでいる家族の姿が想像されよ […]
2014年8月1日 / 最終更新日 : 2019年1月11日 gendaihaiku 現代俳句コラム 天の原白い傘さして三月 阿部完市 評者: 佃 悦夫 <天の原>とは、いわずと知れた馴染みのある古語であり、読者が既知のことを前提にしていて、たんなる言葉以上の世界を現前させている。<三月>という季節に<白い傘>とは。想像を逞しくすれば日本神話の神々は等しく白装である。そ […]
2014年7月21日 / 最終更新日 : 2019年1月11日 gendaihaiku 現代俳句コラム 子を殴ちしながき一瞬天の蟬 秋元不死男 評者: 松井国央 子どもの頃の夢を見た。我が家の前に、というより池のほとりに我が家があった頃のことだ。この大きな池は明神池と言って大昔多摩川の氾濫によって出来たものだと聞いている。四季を問わず岸辺には沢山の釣り人が糸を垂れ、主に鮒を釣り […]
2014年7月11日 / 最終更新日 : 2019年1月11日 gendaihaiku 現代俳句コラム 青大将この日男と女かな 鳴戸奈菜 評者: 松井国央 子どもの頃の夢を見た。蛇は玄関先の草むらからわずかに首を出して動かない。私は大きな石を抱え上げ、蛇の頭上に落として息の根を止めようとしたが、蛇は死ぬどころか草むらを出て道路を横断している。しかも道路幅いっぱいの長さの大 […]
2014年7月1日 / 最終更新日 : 2019年1月11日 gendaihaiku 現代俳句コラム 勇気こそ地の塩なれや梅真白 中村草田男 評者: 松井国央 子どもの頃の夢を見た。大きな池は一面春の日差しにキラキラと輝き、対岸の蘆原は薄緑の芽を尖らせていた。その一角に朽ち果てた小さな船着場の跡があり、幾本かの杭に横板が載せられ、夏には子供たちの格好の遊び場となる。 そこに […]
2014年6月21日 / 最終更新日 : 2019年1月11日 gendaihaiku 現代俳句コラム 被災地とおなじ春寒いや違ふ 仲 寒蟬 評者: 堀本 吟 いまの季節にはずれるが、スパッとは切れない現実をスパッと言い切ってくれる。この句、リアルタイムを言い切る鮮やかさと調べの勢いが抜群。屈託ない否定の口語がすごく効いている。たくさんの震災俳句と同じ?(いや違ふ)、頑張ろう […]
2014年6月11日 / 最終更新日 : 2019年1月11日 gendaihaiku 現代俳句コラム 旱雲手紙は女よりきたる 鈴木六林男 評者: 堀本 吟 『荒天』の巻頭《阿吽章》は昭和十三年〜十八年。その最初に置かれている処女作である。 句意はそっけないが含みが多い。この時代、「手紙」も「女」も、「女から来たる」という事態も、平成の今とは違う重みがある。 「手紙」と […]