天の原白い傘さして三月 阿部完市 評者: 佃 悦夫

 <天の原>とは、いわずと知れた馴染みのある古語であり、読者が既知のことを前提にしていて、たんなる言葉以上の世界を現前させている。<三月>という季節に<白い傘>とは。想像を逞しくすれば日本神話の神々は等しく白装である。その白栲からの連想として<白い傘>を突如として突きつけられても不思議とはいえまい。字義通りに、ここまで読んだものの、忠実にその言葉に沿わねばならないのか。しかし、作者はそれを強制してはいないのではと思う。
 作者は非意味ということをしきりに言いもし書きもした通り、意味に拘泥する必要も無かろう。「無意味」ではなく「非意味」。意味に非ずである。合理的に分析出来ない精神状態であり一種の酩酊状態ともいえようが、人はそれを朦朧体とも言った。
 以前に作者は向精神薬を服用して(精神科医であった)自動記述を試したことがある。散文の場合は支離滅裂は必定、最短詩ならば可能かと思われたが、そうはならなかった。非意味といえど、正常な意識下で言葉を選ばなければ無意味と堕すことを身を以て実証してみせた。
 それにしても初期作は別として、ほとんどが広大な虚構の世界であり、ある意味では癒しの世界に引き込む側面も見える。それというのも、世俗に最も遠く、どこまでも明るく童話的でもあり、柔軟な感触と豊潤な感性の成せる世界。それは夾雑物を削ぎに削いだ純度の高く平易な言葉を使っているからでもあろう。
 掲句に帰ると、<天の原><白い傘>は同時代に有り得ず、<三月>という季節の常識を覆し、時間の整合性をも超えて、一つの空間を構成しているのである。
 
出典:第四句集『春日朝歌』
評者: 佃 悦夫
平成26年8月1日