毛皮はぐ日中櫻滿開に 佐藤鬼房 評者: 佃 悦夫

 昭和二十五年作。終戦後五年といえば、その余燼がくすぶりつづけていた。みな等しく飢えていた。<毛皮はぐ>とのみで動物を特定していないが、毛皮を得るだけが目的なのか、肉も食用にしたのかは定かではない。いかに貧困の時代とはいえ素人である作者が剝ぐとは考えられない。血を抜くことから始まる解体作業である。その屠殺を目撃したのであろうが、それも絢爛たる桜の満開時という。殺生と、それを見事なまでに印象付ける桜。西行法師がこの場面に遭遇したら絶句したことだろう。それほど徹底したリアリズムである。作者のこの姿勢は『夜の崖』全篇を通していささかもゆるがない。
 東と西という地域性の相違という視点で、この作者の作品を読み返してみると、まさに東の精神が苛烈である。何ごとも雅が支配していた西に対する「荒夫琉神(あらぶるかみ)」また「摩都楼波奴人等(まつろはぬひとども)」(『古事記』)の蝦夷が大多数を占めていた東北。そう、作者は生粋の東北人である。西という中央権力に対峙する抵抗精神は世々代々、作者の生命記憶に刷り込まれていたのではなかろうか。
 その徹底した社会主義的姿勢は良い意味での自由狼藉ともいえるリアリズムであり、それは句材からも充分に窺えるし、その衝撃を一方的にも享けよう。花鳥諷詠を信奉する立場からすれば怖気をふるうような生きとし生けるものの恥部をも明らめる。たとえば<糞><尿><排便>などと少しも遠慮することがない。露悪的と評するむきもあるかも知れないが、肉声そのものの吐露である。虚飾こそ、この作者の最も忌避すべきものであったろう。
 それは、いわゆる書斎派ではなく行動派といってよく、松川事件後の被告たちにも接していることからも分かる。
 

出典:『夜の崖』昭和三十四年酩酊社刊

評者: 佃 悦夫
平成26年8月21日