旱雲手紙は女よりきたる 鈴木六林男 評者: 堀本 吟

 『荒天』の巻頭《阿吽章》は昭和十三年〜十八年。その最初に置かれている処女作である。
 句意はそっけないが含みが多い。この時代、「手紙」も「女」も、「女から来たる」という事態も、平成の今とは違う重みがある。
 「手紙」という手作りの媒体は、個が「孤」である人間関係をつなぐ重要な通路である。〈しろい昼しろい手紙がこつんときぬ・藤木清子〉(旗艦47/昭和十三年十一月号)、と言う新興俳句の名吟も同年に出た。
 「女」との関係にはいくつかケースが考えられるとしても、ここではひとつ艶っぽく読みたい。「旱雲」にどこかけだるくセクシャルな暗示がある。大正昭和初期、洋装断髪の「モガ」登場、タイピストなど女性の職場が開かれ、キャバレーやダンスホールも増えた。自我と教養、性的な魅力を主張し始めたモダンガールとの自由恋愛が「手紙」を介して始まる。雨か嵐か、ただでは済まないはず。季語も効いているが、具体性を省略して五七五の文節にはめ込んでゆくテンポが小気味よい。
 昭和三十年「天狼」一月号に、山口誓子選の雑詠欄である遠星集の投句者から、津田清子、小川双々子、佐藤鬼房、鈴木六林男の四人が同人に昇格している。その四月号特集《私の処女作》で、三十六歳の六林男はこの句をあげている。
 【昭和十三年七月二十五日作、海南市から出ていた同人誌「串柿」九月号掲載、/この句を背景として、当時僕が編集していた同人誌「螺旋」の青春群像が戦時の暗さを背景として去来する。/後略】(鈴木六林男「天狼」同年四月号)。
 日本は近代化し都市化のすすむ中で、「戦時の暗さ」に巻き込まれてゆく。その時代の「青春群像」の放埒な生活ぶりが句の背景にある。制作時は六林男十九歳そこそこ。もともとは、受け取った男の一瞬の当惑や昂ぶりの気持ちを書き留めた青春の一句であるものの、時代を背負った魅力的な象徴的な登場である。さて、「女」はどんな「手紙」を差し出したのだろう?
 
昭和十三年作。出典:第一句集『荒天』(『鈴木六林男全句集』所収より)
評者: 堀本 吟
平成26年6月11日