子を殴ちしながき一瞬天の蟬 秋元不死男 評者: 松井国央

 子どもの頃の夢を見た。我が家の前に、というより池のほとりに我が家があった頃のことだ。この大きな池は明神池と言って大昔多摩川の氾濫によって出来たものだと聞いている。四季を問わず岸辺には沢山の釣り人が糸を垂れ、主に鮒を釣りに来ていた。そのために多摩川に残る漁師たちも、この明神池で投網を打つことは控えていたようだ。ところがある時、池が埋め立てられることになった。噂では渋谷の東急文化会館(現・ヒカリエ)の建設で出る残土を持ち込むそうだ。そこで漁師が集まり残土が入る前に投網を打つことになった。
 小舟を浮かべ、幾日か漁をしているうちに、ことさら大きな鯉があげられた。
少年の私には重くて持ち上げられなかった。盥に横たえると鰓から頭の部分と尾が大きくあふれ出ている。「これがこの池の主だ」漁師の言葉に、明神池の歴史が終わったことを実感した。池のはずれの龍神を祭る小さな祠にいったん供え、それぞれに手を合わせ漁を終わらせた。その後細い水路を残すのみとなり、かっての池の上には数十戸の家が立ち並んだ。
 雁や鷭など多くの鳥がわたり、夏には近所の子供たちと泳ぎを覚え、夜になると牛蛙の大合唱だ。岸辺に仕掛けた釣り針を朝になって引き上げると幾本もの鰻がかかっていた。池に潜って大きな黒い貝を採るのも楽しかった。カタッケと呼んでいたこの貝は、おそらくカラス貝なのだろう。冬には池一面に氷が張りつめた。小石を放ると小鳥の鳴き声のような音を立てて遥かなところまで滑っていく。春先の思い出の一つに、司令官の任を解かれ日本を去るマッカーサー元帥の専用機(バターン号)が羽田を経ち、小さな伴走の飛行機を伴ってこの池の上空を通過した。そのひと月前に私の父が亡くなっている。この長い間の出来事が順序なく夢に現れ、一瞬と言うかたまりとなって、遠ざかる爆音の後に来る静寂の中へ消えて行った。
 掲句にある父親の逡巡にも、長い人生の経験と迷いが一瞬の中に詰められていたのだろう。
 
出典:句集『街』
評者: 松井国央
平成26年7月21日