2011年6月1日 / 最終更新日 : 2019年1月31日 gendaihaiku 現代俳句コラム 日に一度日当る柱黄落す 柿本多映 評者: 杉野一博 大きな空間を支える柱。その支えている空間は、真暗ではないがかなり暗い。例えば寺院や仏閣などの太い柱が浮かぶ。 そこに日に一度は日光が差しこむ。そしてそれは毎日繰り返される。 向日性の近代建築の空間ではなく 歴史の重 […]
2011年5月21日 / 最終更新日 : 2019年1月31日 gendaihaiku 現代俳句コラム 産衣より孵る少年麦ぼこり 岩尾美義 評者: 杉野一博 少年の誕生。その瞬間への現実の時間的経過や空間の連動はいきなりはずされている。 現実の枠組などは一切関知しない意識が、生命感の溢れるイメージに仕上げられた。 そして<孵る>の文字の使用。みずから殻を割っ […]
2011年5月11日 / 最終更新日 : 2019年2月5日 gendaihaiku 現代俳句コラム 階段が無くて海鼠の日暮かな 橋 閒石 評者: 杉野一博 階段は上下への通路である。それが無い。 また、階段の上は普通明るいが、その下はどんな階段でも暗い。その暗さが無い。 移動する方法のない明るさ。そこに海鼠が曝されたのである。 海鼠は、浅い海から深海まで、所によって […]
2011年5月1日 / 最終更新日 : 2019年1月31日 gendaihaiku 現代俳句コラム 百代の過客しんがりに猫の子も 加藤楸邨 評者: 和田浩一 「百代の過客」は言うまでもなく芭蕉の「おくの細道」の冒頭の「月日は百代の過客」から得たもの。 そのしんがりに作者の腕に眠る猫の子を配し、自己と生きとし生きるものへの思いを伝える。やさしさに満ちた作者の眼差しを感じる。 […]
2011年4月21日 / 最終更新日 : 2019年1月31日 gendaihaiku 現代俳句コラム 憂国や眼を置くように眼鏡置く 和知喜八 評者: 和田浩一 この句は『和知喜八句集』『同齢』につづく、第三句集『羽毛』に掲載されている。 『羽毛』は昭和52年に一切の職を辞し、俳句一筋に生きる決意をし、職がないという認識から深く人生・社会にかかわって、俳句を詠いだして行こうと […]
2011年4月11日 / 最終更新日 : 2019年1月31日 gendaihaiku 現代俳句コラム 美しき稲妻となり遠ざかる 石田よし宏 評者: 和田浩一 句碑は刈田の向こうに雪の男体山を遙かに望む、栃木市野中町の「魔方陣スーパーカーミュージアム」の庭園に建立された。 栃木県現代俳句協会の創立時より、会長として二十有余年ご指導いただいた。その感謝を込めて栃木県現代俳句協 […]
2011年4月1日 / 最終更新日 : 2019年2月7日 gendaihaiku 現代俳句コラム 蝶々をてふてふと書き昭和遠し 星野昌彦 評者: 前川弘明 「てふてふ」という発語は、いかにも蝶々の姿態を想わせる言葉であったが、今はもう一部のマニアに残っているだけで普通は使わない。一般に使っていたのは昭和の初め頃までだろう。まさに「昭和遠し」である。 そういえば、文語表記 […]
2011年3月21日 / 最終更新日 : 2019年1月31日 gendaihaiku 現代俳句コラム 歩きつつネクタイを解く木の芽風姜 *琪東(*王+其) 評者: 前川弘明 「定年退職の日」と句に前書きがある。毎年春になると、学業を終えた若者たちが就職をし、社会人としての道へ踏み出して行く。その一方で、入れ替わって職を退き社会の表から引退する人たちが居る。かように、まるで春の季節を境に社会 […]
2011年3月11日 / 最終更新日 : 2019年1月31日 gendaihaiku 現代俳句コラム 花冷のちがふ乳房に逢ひにゆく 眞鍋呉夫 評者: 前川弘明 この句に初めて逢ったとき、心臓がぞくぞくした。なんという甘酸っぱさだろうとおもった。想像は蜜のように甘く、引き潮のように苦い。この句の主人公は何歳ぐらいだろうか。おそらく中年を過ぎているだろう。妻子もあり、分別もあり、 […]
2011年3月1日 / 最終更新日 : 2019年1月31日 gendaihaiku 現代俳句コラム 川霧わく湯屋そこばかり鴉立つ 赤尾兜子 評者: 森田緑郎 赤尾兜子氏といえば、<広場に裂けた木塩のまわりに塩軋み>とか<音楽漂う岸侵しゆく蛇の飢>など前衛俳句期を代表する作品も残している。冒頭の掲句は心情的に合うものを選んだ。しかし気になる箇所もある。 […]