歩きつつネクタイを解く木の芽風姜 *琪東(*王+其) 評者: 前川弘明

 「定年退職の日」と句に前書きがある。毎年春になると、学業を終えた若者たちが就職をし、社会人としての道へ踏み出して行く。その一方で、入れ替わって職を退き社会の表から引退する人たちが居る。かように、まるで春の季節を境に社会は脱皮を繰り返すかのようだ。働いて社会に尽くし家庭を守っていた時に心身に満ちていたものは、退職によっていったい何処へ行くのだろうか。先だっての同窓会でその様な話になった。ぼくらの歳の者にとっては、「何処へ行くのだろう」などという時期は遥かに過ぎてしまって、「何処へ行ったのだろう」と過去形になってしまったが、話は結構さまざまだ。「首輪が外れたようにほっとした」という開放感型や「そわそわして落ち着かなかった」との心残り型が代表的な型だろう。近年は平均寿命が伸びたことで活動可能年齢もずいぶん伸びているのに、定年60歳はいかにも早い。現役時代に培った経験や技術はもっと継続して大事に尊重されなければならない。
 ところで、定年後も自由な時間を保証された豊かな人生が待っているから、新しい仕事や趣味芸事への挑戦が自由にできるということでもある。
 おかげでというか、定年後の時間を俳句の詩的豊穣に求める人も多くいて、大いに結構なことである。ぜひ俳句を堪能してほしい。      
 さて、掲句は退職の日のさわやかな光景である。就職という輪の中から歩み出しつつ、枷の象徴であったネクタイを、感触を確かめるようにゆっくりとほどいているのだ。春風が木の芽を育むようにさよさよと吹き、辺りは明るい日が差しているだろう。思わず頬がゆるみ、笑みが浮かんでいるかも知れない。
 掲句と同じ頃の次の句などに、その頃の気持ちがよく現れているようだ。
  思い出しわらひをこらへ木の芽道
  風船を放してほつとしてゐる手
  春光やきれいにむけしゆで玉子

出典:『突進を忘れし犀』
評者: 前川弘明
平成23年3