憂国や眼を置くように眼鏡置く 和知喜八 評者: 和田浩一 

 この句は『和知喜八句集』『同齢』につづく、第三句集『羽毛』に掲載されている。
 『羽毛』は昭和52年に一切の職を辞し、俳句一筋に生きる決意をし、職がないという認識から深く人生・社会にかかわって、俳句を詠いだして行こうと努める時期の作品で昭和55年に発表された。
 充実した生活とは言え、社会に視点を向けるとき、官庁公社公団のカラ出張、ヤミ超勤の問題や元陸将らのソ連に軍事機密を流す事件など、少し、国家の箍がゆるみ始めた時期を作者はじっと見つめていたのだろう。
 或いは戦後35年、経済の発展と共に、少なからず軍備を拡大しはじめ、右傾化の進む、時代への危惧を感じたのだろうか。
 集中、極めて少ない無季作品の中の異色の一句である。
 句集のあとがきでは「俳句があるから俳句を作るのではなく、自分という人間を詠いたいから俳句を作るという思いを確かにしている」と述べる。
 『羽毛』の他の作品には
  秋刀魚食い妻と二人の骨残る
  ゆくところ決めて黄鶲ふと震え
  人の死は灯をこうこうと朧なり
  子を提げてゆく真暗な祭あり
  ふぶくもの消えてゆき榛の花ふぶく
等どちらかというと自己の内面を見据えた作品が多い。
 句集は上記以外に『川蟬』『父の花火』『五階の満月』がある。

出典:『羽毛』
評者: 和田浩一
平成23年4月21日