川霧わく湯屋そこばかり鴉立つ 赤尾兜子 評者: 森田緑郎

赤尾兜子氏といえば、<広場に裂けた木塩のまわりに塩軋み>とか<音楽漂う岸侵しゆく蛇の飢>など前衛俳句期を代表する作品も残している。冒頭の掲句は心情的に合うものを選んだ。しかし気になる箇所もある。
 一見やさしさと懐しさを誘って来る情景ではある。
 全体としては茫としてほの暗さが漂う。湯屋とあるから、銭湯のようにも出(い)で湯のようにもとれる。時刻も朝なのか、昼なのか、また夕暮れのようでもあるが定かではない。不思議な雰囲気を生み出しているが、これといった手掛りもない。
 確かに銭湯と決めつけるには川霧が目立つし、出で湯と限定するには湯屋といった表記ではやや無理がある。湯屋には、風呂場とか風呂屋という解もある。
 恐らく作者は両方のイメージを仮象的に置かれているのかも知れない。
 問題は「そこばか鴉立つ」といった特異なイメージの表出である。威圧的な鴉の群れで怪奇めいて来る。
 もしかすると無人の湯屋ではないか、事件的な匂いもさせる。
 要するに「川霧わく」が自然発生的なものだけではなく、時代的な背景として働き、湯屋と鴉の群れを異様なまでの存在に押し上げいるからではないかと思う。
 ひょっとするとこの不思議な構図は新聞記者時代の作者の心象風景ではなかったかと。

出典:第二句集『虚像』昭和40年刊
評者: 森田緑郎
平成23年3月1日