2010年9月11日 / 最終更新日 : 2019年1月31日 gendaihaiku 現代俳句コラム 暮の春佛頭のごと家に居り 岡井省二 評者: 長峰竹芳 所属する雑誌の現代俳句月評でこの句を書いた。月刊誌「俳句」の昭和六十年七月号掲載作品である。この作者には難解な句が多い。ひと言で言えば深遠であり、言葉の意味を一つ飛び越えないと理解しにくいところがある。 金剛界・胎蔵 […]
2010年9月1日 / 最終更新日 : 2019年1月31日 gendaihaiku 現代俳句コラム 桃の花死んでいることもう忘れ 鳴戸奈菜 評者: 塩野谷仁 鳴戸奈菜という作家はつくづく言語感覚に優れている人だと思われてならない。自分の思念や情念、ひいては自分の身体感覚で捉えた世界を、ことばの持つ想像力を駆使して軽やかに表現する。このこと、掲句では、あの艶やかで濃厚な「桃の […]
2010年8月21日 / 最終更新日 : 2019年1月31日 gendaihaiku 現代俳句コラム 次の世へ蝿取蜘蛛を連れて行こ 柿本多映 評者: 塩野谷仁 柿本多映氏の文章の中で、印象的な一文がある。そこにはこう記されていた。「私にとって書くという行為は、自己確認するためのものであ」り、それは「存在の原点に分け入る行為と同じであるという確信」があって、「存在とは命。命は死 […]
2010年8月11日 / 最終更新日 : 2019年1月31日 gendaihaiku 現代俳句コラム 人間を見ている駱駝夏休み 森田智子 評者: 塩野谷仁 森田智子が現代俳句協会賞を受賞したのは昭和五十七年。奇しくも、現会長の宇多喜代子氏と同時受賞だった。受賞作品抄よりそのいくつかをここで抜き出してみたい。 地下鉄に後頭並び敗戦忌 金魚掬う少女に不幸兆しおり […]
2010年8月1日 / 最終更新日 : 2019年1月31日 gendaihaiku 現代俳句コラム 切株やあるくぎんなんぎんのよる 加藤郁乎 評者: 鳴戸奈菜 一読、口調がよくてアラ素敵、とそれで終らせたい句だが、読んだら最後、脳裏に焼きついてしまう。なぜか。句の舞台は森か林。そこに切株がポツネンとある。わたしは一個の切株と受け取ったが、幾つかあると捉えることもできる。ただし […]
2010年7月21日 / 最終更新日 : 2019年1月31日 gendaihaiku 現代俳句コラム いなびかり北よりすれば北を見る 橋本多佳子 評者: 鳴戸奈菜 シンプルこの上ない句。イメージもぶれることなく立つ。主人公でいなびかりを見ているのは女人であり作者自身であろう。写真で見る多佳子はいつも和服を着ているのでこの場合も和服姿であろう。着物の生地は柔らかいものではなく紬のよ […]
2010年7月11日 / 最終更新日 : 2019年2月7日 gendaihaiku 現代俳句コラム 籐椅子に海を見てゐるとき負けし 大牧 広 評者: 鳴戸奈菜 大牧氏が第一句集『父寂び』を文庫版で再上木された。以前から大牧氏をプロの上手い俳人と思っていたが、どこがどう上手いのかよく認識していなかった。しかし今回こういうことかなと思った。作者の人柄と人生の喜怒哀楽が実に細やかに […]
2010年7月1日 / 最終更新日 : 2019年2月5日 gendaihaiku 現代俳句コラム おしろいのはなにかくれてははをまつ 恩田侑布子 評者: 宮坂静生 掲句の「はは」は亡き母ではないか。仮名書きだけなので、一句の場面を幻想と読みたい。所収の句集には「二〇〇〇年十一月二十八日母頓死」とある。まず、母への回想句をはじめにひとつ。 吸ふ乳のかたへにありし青山河 乳児で […]
2010年6月21日 / 最終更新日 : 2019年2月5日 gendaihaiku 現代俳句コラム 苗売のとなり子どものひよこ売 星野麥丘人 評者: 宮坂静生 平成一五年(2003)の作。街中に露天商の苗売がいる。その横にみかん箱にでも入れてひよこを子供が売っている。折から親が用事で立っていった僅かの時間に子供が変わって番をしているのか。ぴいぴい鳴いているひよこを前に、小学校 […]
2010年6月11日 / 最終更新日 : 2019年2月5日 gendaihaiku 現代俳句コラム コスモスなどやさしく吹けば死ねないよ 鈴木しづ子 評者: 宮坂静生 昭和二六年(1951)七月俳誌「樹海」に出された二一句中の一句。他に同時にこんな句がある。世に喧伝された句だ。 夏みかん酸つぱしいまさら純潔など この年はわが俳句初学の年。とはいえ、一四歳の新制中学二年生が掲句 […]