コスモスなどやさしく吹けば死ねないよ 鈴木しづ子  評者: 宮坂静生

 昭和二六年(1951)七月俳誌「樹海」に出された二一句中の一句。他に同時にこんな句がある。世に喧伝された句だ。
  夏みかん酸つぱしいまさら純潔など 
 この年はわが俳句初学の年。とはいえ、一四歳の新制中学二年生が掲句を知っていたのではない。何時頃知ったのか記憶は確かでないが、高校生の頃には記憶していた。
観念の中で、死と生が紙一重の時代だという意識はあった。ふっと死が生々しい実感に変わる。それが戦後だった。太宰治の昭和二三年六月一三日の入水はいつまでも事件だった。
 ああ、この人も死にたいのか、しかし、未練がましいなと思った。いまだ真剣に掲句を私は読んでいなかったのだ。翌二七年、句集『指環』の出版記念会を最後に、忽然と姿を消す作者の経歴を大方知るに及んで、「コスモス」に寄せた感性の確かさに私は感心した。風に揺れるコスモスの景はいつまでもジーンと胸に楚々たる思いを残す。「楚々たる思い」はこの世の生そのもの。生きる哀感だ。作者の用いたことば「純潔」を具象化すると、コスモスの景になろう。いまさらと思いながら、この平凡な日常の景こそ追い詰められた鈴木しづ子の憧れであったのである。
  好きなもの玻璃薔薇雨駅指春雷    しづ子
 これらはどこかバター臭い。その点、コスモスの景はしっくりと風土に馴染んで絆を伴った母なる景に化している。「玻璃薔薇雨駅指春雷」の向こうにある景なのだ。このように見ると、戦後の空を僅か掠める彗星のように消えていった俳人鈴木しづ子もしっかりと日本人の原風景に向かい合っていた俳人といえよう。

出典:『指環』(随筆社・1952年1月)
評者: 宮坂静生
平成22年6月11日