いなびかり北よりすれば北を見る 橋本多佳子 評者: 鳴戸奈菜

 シンプルこの上ない句。イメージもぶれることなく立つ。主人公でいなびかりを見ているのは女人であり作者自身であろう。写真で見る多佳子はいつも和服を着ているのでこの場合も和服姿であろう。着物の生地は柔らかいものではなく紬のようなしっかりした生地が、この場合、合いそうだ。八畳ほどの和室に多佳子は端然と坐っている。たぶん文机を前に座布団を敷いて座っているのだ。夜分、今しも稲光がピカッと窓越しに部屋に射した。多佳子はむろんキャッと叫ぶこともなく身じろぎ一つしないで、稲光の射し込んだ北側の窓を見た。じっと見た。まるで次に閃めく稲光を待つかのように。表現として「北」が非常に効果的である。方角を二音で探せば「西」もあるがダメ、甘くなる。「極北」ということばもあるように厳しい方角でなければならない。また「いなびかり」は漢字で「稲光」と書くより平仮名で表記してこそ「北」という短い音が生きる。文字面だって大切である。
 この句はともかくも多佳子その人の気質をいみじくも物語っている。比較するのもなんだが、常日頃悪いことをしているので、稲妻や雷の音がすると、天罰で自分に落ちるのではないかとびくつく小心者の私とは大違いである。
 なお掲句は「北を見る」という前書きを持つ連作九句のうちの一句である。そのうちからもう一句好きな句を挙げておく。
  いなびかり遅れて沼の光りけり

出典:『紅絲』
評者: 鳴戸奈菜
平成22年7月21日