おしろいのはなにかくれてははをまつ 恩田侑布子 評者: 宮坂静生

 掲句の「はは」は亡き母ではないか。仮名書きだけなので、一句の場面を幻想と読みたい。所収の句集には「二〇〇〇年十一月二十八日母頓死」とある。まず、母への回想句をはじめにひとつ。
  吸ふ乳のかたへにありし青山河
 乳児であった時に、子はちらっちらっと横目で授乳中の母を見る。母が穏やかであれば、その背景にある青山河を秩序あるものとして自然に承知する。子は乳のみに生きるにあらず。風景を空気として感受しているのである。
 作者は父も失っている。「二〇〇三年三月十九日父急死」とある。父の句を紹介する。
  菜の花のおひたし食うべみまかりぬ
  父まかる西瓜の種を世に飛ばし
 わがままな父であったのであろう。そこに哀惜を感じている。わが父をみるようで、私は共感を禁じ得ない。もっと共感をするのはこんな一句。
  露の世をけんかしつづけ葛の花
 これだけだと喧嘩の主人公は作者と解される。が、父母を交えた家族であろうか。私は戦後人間として、「けんか」に親近感を持つ。どの家でも庶民は喧嘩をした。夫婦喧嘩、兄弟喧嘩、隣近所の喧嘩。貧しかったのである。貧しさ故に気持が通じるところもあった。親同士の喧嘩に子は厭だなと感じながら、わが身を嘆き、なんとかしなければと秘かにわが身を鍛えることに気を使った。
 掲句は、藪のように繁ったおしろい花の陰に隠れて母が来るのを待っている。生前、お前は先に行っておいでなどといって、おしろい花の陰が、家を抜け出て来る母を待つ場所であったのであろう。母はもうこの世にはいない。いくら待っても来ることはない。が、ここが一番母を実感できる場所。待っている。待っていると母の哀しい気持が今一番わかるのである。それがおしろいはなのところ。
 わが愛唱句を掲げた。

出典:『振り返る馬』(思潮社・2005年12月)
評者: 宮坂静生
平成22年7月1日