人間を見ている駱駝夏休み 森田智子 評者: 塩野谷仁

 森田智子が現代俳句協会賞を受賞したのは昭和五十七年。奇しくも、現会長の宇多喜代子氏と同時受賞だった。受賞作品抄よりそのいくつかをここで抜き出してみたい。
  地下鉄に後頭並び敗戦忌
  金魚掬う少女に不幸兆しおり
  頬杖の一人を残し紅葉燃ゆ
  踏んで鳴る鉄板とあり十二月
  ポーランド側に上れり春の月
 一読して、つくづく「意志の作家」との印象が深い。その「意志」の在りどころは、あるいは社会の矛盾に対してのものであり、また、人間存在にまつわる諸々の不条理であったりするようだ。「地下鉄」を待つ人々の後頭部に「敗戦忌」を実感したり、「ポーランド側」に昇る「春の月」に東西冷戦に巻き込まれたポーランド市民への思いを馳せるのは前者であろう。それに対し、「金魚掬う少女」に「不幸」を見たり、「踏んで鳴る鉄板」に「十二月」を直感するのは、存在の哀しみへの確認作業なのかも知れない。いずれにしても、その表現の底には、鋭い感覚が働いていることにちがいはない。
 掲句、多分、炎天下の動物園での風景の一齣であろうか。ときは夏休みの頃。ことによると一家団欒の折かもしれない。あるいは、吟行の時だってかまわない。そんなとき、駱駝に出会ったのだ。じっとその風景に見入っている。そして、やがて気がつく。人間が駱駝を見ているのでは、ない。「人間を見ている」のは駱駝なのだ。あくまでもその風景の主は駱駝であって、自分も見られている人間のひとり。ここには透徹した「存在の哀しみ」への着眼がある。「生きている今を俳句に定着させたい」と書く森田氏のまぎれもない一句。

出典:第三句集『掌景』平成十三年刊
評者: 塩野谷仁
平成22年8月11日