2009年5月22日 / 最終更新日 : 2019年2月7日 gendaihaiku 現代俳句コラム 鳥獣店へ平らな顔だす熱帯魚 瀬戸青天城 評者: 山崎 聰 鳥獣というと、まっさきに思い浮かぶのは、鳥羽僧正の筆と伝えられている「鳥獣戯画」だろう。昨年秋、京都高山寺で拝観したが、例の猿や兎や蛙を擬人化して描いた絵巻は、かなり色褪せていて、そのせいかはじめの部分と終りの部分とは […]
2009年5月12日 / 最終更新日 : 2019年2月7日 gendaihaiku 現代俳句コラム 海上に朝の道あり桑解かれ 櫻井博道 評者: 山崎 聰 櫻井博道といっても、今では知る人もすくなくなったが、昭和三十年代から四十年代にかけて、新進気鋭の若手のホープとして活躍、俳句入門したての私などには、眩いばかりの存在であった。 掲句は、昭和四十年の現代俳句全国大会で第 […]
2009年4月27日 / 最終更新日 : 2019年2月7日 gendaihaiku 現代俳句コラム うしろから突き落とされて滝である 大畑 等 評者: 寺井谷子 この句を読むとすぐ 滝の上に水現れて落ちにけり という後藤夜半の一句が浮かぶ。「滝の夜半」と称されるような著名な一句。そのことは、作者は勿論計算の上のことであろう。逆に、夜半の句があればこそ書かれ、且つ、「面白さ」 […]
2009年4月17日 / 最終更新日 : 2019年2月7日 gendaihaiku 現代俳句コラム 昭和遠く平成鬱とみどりの日 山崎 聰 評者: 寺井谷子 山崎聰句集『荒星』を読み終えた後、「男歌」と言う言葉がふいに浮かんだ。再度、再再度開いても、その印象は強くはなっても、薄れなかった。荒荒とした言葉を多く使っているのでも、ひどく硬質な構造というのでも無い。例えば あ […]
2009年4月7日 / 最終更新日 : 2019年2月7日 gendaihaiku 現代俳句コラム 春キャベツ ボーボワールは捨てた 松元峯子 評者: 寺井谷子 シモーヌ・ド・ボーボワール~女性論『第二の性』で著名なこのフランスの思想家・小説家。サルトルの伴侶。作者は昭和十六年生まれというから、この一集が出版された一九四九年には八歳。青春の時期には、女性解放と男女平等を主張する […]
2009年3月27日 / 最終更新日 : 2019年2月7日 gendaihaiku 現代俳句コラム 胸襟を開くと花びらがどっさり 横須賀洋子 評者: 寺井谷子 今年は桜の開花が、所によっては二週間も早く咲き始めたという。地球温暖化が一挙に身近になった思いで、いささか不安感の方が先行する。 花は 幹にちよと花簪のやうな花 虚子 の初々しい風情が好きというもの、 […]
2009年3月5日 / 最終更新日 : 2019年2月7日 gendaihaiku 現代俳句コラム 目をとじて雲雀の高さまでのぼる 庵 幽二 評者: 田中不鳴 春ともなれば、空に向って鳴き乍ら昇ってゆく雲雀や、高き所に留って、チィーチク、チィーチク、ツィーツィと鳴き続ける、雲雀の姿が見受けられる。それは繁殖期に於ける、テリトリー宣言なのだが、私には雲雀が天上の神に向って、良い […]
2009年2月25日 / 最終更新日 : 2019年2月7日 gendaihaiku 現代俳句コラム 良寛の喜びさうな春の雪 石 寒太 評者: 田中不鳴 良寛の喜びそうな春の雪とは、どんな春の雪だろうか?最初は春になって降る雪ではあるが、その中の一つの形態かと思った。そうであれば絶対に牡丹雪だ。きっと恥かしげもなく、両手を叩いて良寛は喜ぶ筈、と思った。春の雪という語感は […]
2009年2月15日 / 最終更新日 : 2019年2月7日 gendaihaiku 現代俳句コラム 撃たれんと群を離れて鴨撃たる 宮坂静生 評者: 田中不鳴 長野県の北部、富山県寄りに小さな湖、木崎湖がある。そこで目撃し、作られた句。 湖岸では鴨撃ちの男が銃を構えている。夕方餌を求めて、水田や湿地へ行く鴨も、昼は群れて湖中に休んでいる。見ているとその群れの中から、一匹の鴨 […]
2009年2月5日 / 最終更新日 : 2019年2月7日 gendaihaiku 現代俳句コラム 井戸は母うつばりは父みな名なし 三橋敏雄 評者: 倉橋羊村 句集『畳の上』所収。 父と母は、よく対比的なイメージで詠まれることが多いが、この句は常套的な例示とは異なることに注目したい。 井戸は深く掘るもので、薄暗い底に、澄んで光る水を湛えている。心の渇きを癒やす水でもあるし […]