井戸は母うつばりは父みな名なし 三橋敏雄 評者: 倉橋羊村

 句集『畳の上』所収。
 父と母は、よく対比的なイメージで詠まれることが多いが、この句は常套的な例示とは異なることに注目したい。
 井戸は深く掘るもので、薄暗い底に、澄んで光る水を湛えている。心の渇きを癒やす水でもあるし、時には冷静な判断力を、涸れずにうるおすことにもなる。
 必ずしも情に棹させるというだけでなく、絶えることもないので、使い勝手の有難さもある。上から覗けば、顔の輪郭ぐらいは朧気ながら確かに映り、変わらず見上げて、見守ってくれているようでもある。
 一方の「うつばり」のたくましい力づよさは、屋根や頑丈な木組みを支える姿が、いかにもがっしりしていて、父のイメージにふさわしい。
 しかし、この句の眼目は、イメージのなぞりはそれまでとして、「みな名なし」と、言い切ることにある。
 もとより、父も母も、現存する限り、それぞれ特定の名前を持つことはいうまでもないが、それでもあえて、無名に徹することである。たかが個人、されど個人という形で問われるわけだが、そこに個人の名前を挙げても、現存する時代限りのことで、代々父と母が受け継いできたことを、生身で果たせば、一応その役割は終ることである。それを無名で受け継いで果たすことでよいではないか。
 
出典:『畳の上』
評者: 倉橋羊村
平成21年2月5日