胸襟を開くと花びらがどっさり 横須賀洋子 評者: 寺井谷子

 今年は桜の開花が、所によっては二週間も早く咲き始めたという。地球温暖化が一挙に身近になった思いで、いささか不安感の方が先行する。
 花は
  幹にちよと花簪のやうな花       虚子
の初々しい風情が好きというもの、
  さきみちてさくらあをざめゐたるかな  野澤節子
の緊張感が一番というもの、
  ちるさくら海あをければ海へちる    高屋窓秋
の落花の風情が…というものなど、様々に好みが分かれる。加えてソメイヨシノだ、ヤマザクラだ、八重も又、と言い、更には朝桜だ、夕桜だ、夜桜だ、となる。さすがに「雪月花」というだけの貫録である。
 この好み、年齢を加えると少しずつ変化がある。先年、東京は大田区の桜新道だったか、盛りの八重桜の並木を過ぎることがあって、「ああ」と思った。「愛らしい」のである。「愛おしい」と言った方がよかろうか。年齢を重ねる嬉しさも加えて、自分でも幸せそうな顔をしているのが解った。
 とはいえ、花見客が一段落した直後の落花の下に立つのは、何とも言えず私には好ましい。風があれば尚のこと。掲句を知って以来、この一句を胸に花吹雪に巻かれに行く。「胸襟を開くと」に、何やら胸を掻っ捌いているような意識が発生するのは、「花びらがどっさり」とくるからであろう。ターミネーターが胸をガバと開いたような感覚。
 この作者の「転換・展開」の力には驚かされる。
  筍や悔い改めよ脱ぎ捨てよ
  この愛や雲を見ながら匙なめながら
 今年も又、この句と二人連れの時が近づく。
出典:『案外』
評者: 寺井谷子
平成21年3月27日