昭和遠く平成鬱とみどりの日 山崎 聰  評者: 寺井谷子

 山崎聰句集『荒星』を読み終えた後、「男歌」と言う言葉がふいに浮かんだ。再度、再再度開いても、その印象は強くはなっても、薄れなかった。荒荒とした言葉を多く使っているのでも、ひどく硬質な構造というのでも無い。例えば
  あつまって肉食い春のすなあらし
  春の満月くらいところひとつふたつ
  父の忌のあとに父の日山と川
など、実に「男歌」。というよりも「男振り」というのが正しいかもしれないなどと思う。
 読み進んでいくと、
  不器用は無頼にも似て花筏
という一句にも出会う。
 
 「みどりの日」というのは、昭和の「天皇誕生日」であった。平成になって「みどりの日」として祝日となり、そして昨年から「昭和の日」と呼び名が変わった。「昭和の日」は、行事の項の、最も新しい季語といえる。
 作者は昭和六年八月十六日生まれ。敗戦の日の翌日が十四歳の誕生日であった計算になる。もう少し早く生まれていたら、もう少し戦争が続いていたら、十五歳の少年兵になっていた可能性もあろう。「昭和」の激変期を体験し、戦後の歴史を青春時代から働き盛りに重ねた年代である。「昭和天皇誕生日」から「みどりの日」へと呼称が変わることで、「昭和」が遥かになる実感。それでいて馴染まない「平成」の元号。この句の前に
  われらなお昭和の男紫羅欄花(あらせいとう)
がある。因みに平成十九年の作。
 それにしても、「平成鬱と」は、まるで現今の状況を見通したように思える。 
 
出典:『荒星』
評者: 寺井谷子
平成21年4月17日