撃たれんと群を離れて鴨撃たる 宮坂静生  評者: 田中不鳴

 長野県の北部、富山県寄りに小さな湖、木崎湖がある。そこで目撃し、作られた句。
 湖岸では鴨撃ちの男が銃を構えている。夕方餌を求めて、水田や湿地へ行く鴨も、昼は群れて湖中に休んでいる。見ているとその群れの中から、一匹の鴨が出て来て群を離れた。目標を捉え易くなった男は、引き鉄を引いた。轟く爆音、鴨が一斉に飛び飛び立ち、逃げ去っていった。後には撃たれた鴨が一匹、湖面に浮いているだけ。作者は撃たれた鴨を、群のリーダーと見た。そして群を救う為、己を犠牲にしたと理解したのである。偶然群れを離れたのではなく、鴨にも自己犠牲という崇高な精神があることに驚いたのである。
 子孫を残す本能で、群れの長(おさ)である猿も海驢も挑戦者と戦う。群れを救う為、天敵をも威嚇し時には戦う。殖え過ぎた鼠は共倒れを恐れて、群れの一部時には半数の鼠達が、リーダーの行く侭、海に入り沖へ向って泳ぎ、やがて溺れ死ぬ。集団自殺である。この様な行動は、弱き生き物たちに於いて顕著で、枚挙にいとまがないし、総体的に考えると合理的であると言える。だが犠牲となって命を落とす個を考えると、憐れを感ぜざるを得ない。狩猟民族で肉食が主の西洋人には、単なる弱肉強食の事柄だが、日本人の心に受け継がれる〝もののあわれ〟を持っている詩人にとっては、人間らしさ、日本人らしさの証明でもある。自然界には神秘的なことが、まだまだ多い。物理的にそれに対処するのではなくて、精神的に対処するのが詩人であろう。
宮坂静生は詩人なのである。
出典:句集『鳥』
評者: 田中不鳴
平成21年2月15日