鳥獣店へ平らな顔だす熱帯魚 瀬戸青天城  評者: 山崎 聰

 鳥獣というと、まっさきに思い浮かぶのは、鳥羽僧正の筆と伝えられている「鳥獣戯画」だろう。昨年秋、京都高山寺で拝観したが、例の猿や兎や蛙を擬人化して描いた絵巻は、かなり色褪せていて、そのせいかはじめの部分と終りの部分とは明らかに筆致が違う印象で、一人の作者で、一人の作者が描いたものとは思えなかった。
 ところで鳥獣店は、今で云えばペットショップということになるのだろうが、なんだかすこし違うような気がする。鳥獣店は、もちろん生きたペットも扱うかも知れぬが、それよりも鳥やけものの剥製とか毛皮とかを扱っている店というイメージが強い。だいいち、犬や猫を獣(けもの)というのにはなんとなく違和感がある。いわゆるペットと鳥獣とは区別する意識が私の中にはある。
 この句、そんな鳥獣店と熱帯夜の取り合わせが面白い。暑い真夏の夜、さほど広くもない鳥獣店に、男がぬっと入ってきた、という見るからに暑苦しそうな景である。“平らな顔”というのがまたおかしい。つまり高貴な人、偉い人というのではなく、そのへんにいるような普通の男といった感じで、加えて“顔だす”という無造作な云い方も、顔だけがいきなり入ってきた様子がよく見える。いずれにせよ、暑い上にも暑い状況が、一句を通してややユーモラスに描かれているのである。
 瀬戸青天城氏は、長く現代俳句協会の副会長を務め、特に財務経理面での貢献の大きかった人。

出典:『暴れ梅雨』(昭和六十年刊)

評者: 山崎 聰
平成21年5月22日