2011年5月1日 / 最終更新日 : 2019年1月31日 gendaihaiku 現代俳句コラム 百代の過客しんがりに猫の子も 加藤楸邨 評者: 和田浩一 「百代の過客」は言うまでもなく芭蕉の「おくの細道」の冒頭の「月日は百代の過客」から得たもの。 そのしんがりに作者の腕に眠る猫の子を配し、自己と生きとし生きるものへの思いを伝える。やさしさに満ちた作者の眼差しを感じる。 […]
2011年4月21日 / 最終更新日 : 2019年1月31日 gendaihaiku 現代俳句コラム 憂国や眼を置くように眼鏡置く 和知喜八 評者: 和田浩一 この句は『和知喜八句集』『同齢』につづく、第三句集『羽毛』に掲載されている。 『羽毛』は昭和52年に一切の職を辞し、俳句一筋に生きる決意をし、職がないという認識から深く人生・社会にかかわって、俳句を詠いだして行こうと […]
2011年4月11日 / 最終更新日 : 2019年1月31日 gendaihaiku 現代俳句コラム 美しき稲妻となり遠ざかる 石田よし宏 評者: 和田浩一 句碑は刈田の向こうに雪の男体山を遙かに望む、栃木市野中町の「魔方陣スーパーカーミュージアム」の庭園に建立された。 栃木県現代俳句協会の創立時より、会長として二十有余年ご指導いただいた。その感謝を込めて栃木県現代俳句協 […]
2011年4月1日 / 最終更新日 : 2019年2月7日 gendaihaiku 現代俳句コラム 蝶々をてふてふと書き昭和遠し 星野昌彦 評者: 前川弘明 「てふてふ」という発語は、いかにも蝶々の姿態を想わせる言葉であったが、今はもう一部のマニアに残っているだけで普通は使わない。一般に使っていたのは昭和の初め頃までだろう。まさに「昭和遠し」である。 そういえば、文語表記 […]
2011年3月21日 / 最終更新日 : 2019年1月31日 gendaihaiku 現代俳句コラム 歩きつつネクタイを解く木の芽風姜 *琪東(*王+其) 評者: 前川弘明 「定年退職の日」と句に前書きがある。毎年春になると、学業を終えた若者たちが就職をし、社会人としての道へ踏み出して行く。その一方で、入れ替わって職を退き社会の表から引退する人たちが居る。かように、まるで春の季節を境に社会 […]
2011年3月11日 / 最終更新日 : 2019年1月31日 gendaihaiku 現代俳句コラム 花冷のちがふ乳房に逢ひにゆく 眞鍋呉夫 評者: 前川弘明 この句に初めて逢ったとき、心臓がぞくぞくした。なんという甘酸っぱさだろうとおもった。想像は蜜のように甘く、引き潮のように苦い。この句の主人公は何歳ぐらいだろうか。おそらく中年を過ぎているだろう。妻子もあり、分別もあり、 […]
2011年3月1日 / 最終更新日 : 2019年1月31日 gendaihaiku 現代俳句コラム 川霧わく湯屋そこばかり鴉立つ 赤尾兜子 評者: 森田緑郎 赤尾兜子氏といえば、<広場に裂けた木塩のまわりに塩軋み>とか<音楽漂う岸侵しゆく蛇の飢>など前衛俳句期を代表する作品も残している。冒頭の掲句は心情的に合うものを選んだ。しかし気になる箇所もある。 […]
2011年2月21日 / 最終更新日 : 2019年1月31日 gendaihaiku 現代俳句コラム 大いなる梨困惑のかたちなす 和田悟朗 評者: 森田緑郎 掲句はかなり主観的なものいいだか、もののこだわり方にユニークさがあって興味をひく。 一句の情景はぼくとつな梨一箇が、卓上に置かれているに過ぎない。しかし梨への仕掛けには「大いなる梨」と野望的な展望を与えたり、「困惑の […]
2011年2月11日 / 最終更新日 : 2019年1月31日 gendaihaiku 現代俳句コラム 寒中の鰡に呼ばれる何の酔 佐藤鬼房 評者: 森田緑郎 今回は一句の混沌を生み出す謎を秘めた作品に触れてみたい。 一読この句には分りにくさが今も残っていて深読みを誘って来る。 例えば「鰡に呼ばれる」といった意外性や「何の酔」と応じた呟きにはどこか漠然とした書きとめ方にな […]
2011年1月31日 / 最終更新日 : 2019年1月31日 gendaihaiku 現代俳句コラム この車月光に砂丘かも知れぬ 森田緑郎 評者: 川名つぎお 不思議な感覚を招く一句。いわば森田緑郎像を他者が語れば、かく表現するのも妥当であろう。「月光」と日本人のトータル・イメージを打破する書き方に森田的な言語美学が感じられる。ここでの「月光」は濡れていない。パリ・ダカールの […]