大いなる梨困惑のかたちなす 和田悟朗 評者: 森田緑郎

 掲句はかなり主観的なものいいだか、もののこだわり方にユニークさがあって興味をひく。
 一句の情景はぼくとつな梨一箇が、卓上に置かれているに過ぎない。しかし梨への仕掛けには「大いなる梨」と野望的な展望を与えたり、「困惑のかたちなす」とまことに人間らしいじくじたる思いを表出させてみたりして、梨からぬ存在に仕立て上げている。いかにも俳諧的。梨に寄せた人間的風刺かも知れないと!ここでは擬人化の発想が功を奏しているが、レトリックの妙味を感じさせる。
 もう一つは句の発想を支えるよりどころ、句の原点を見ておこう。
 既に述べた通り、この情景は「大いなる」と期待をもって登場した存在であったが、時間の経過とともに梨の様相が変質、凋んでいく様子を困り果てた表情で捉えた作のように一義的には見える。
 だが一方では颯爽たる梨の中に困惑の態を同時に見出したという、二律背反的な梨のあり方もある。この着地点のほうがこの作者には似合いかも知れない。
 つまりものの本体の中にこの二面性というか、向上性と下降性の要素が潜在的に渦巻いていて生生流転の相を繰り返しているのではないかと思う。こんな句もある。
  猫つねに猫と限らずいなびかり
  星流れ勝って勝因などあらず
など猫がときに虎となり、また風向きしだいで敗者が勝者として息を吹き返して来ることもあると。
 いずれにせよ万物の根元をつねに見続ける、文明批評的な作者のまなざしを覚える。

出典:第八句集『即興の山』平成8年刊
評者: 森田緑郎
平成23年2月21日