2009年8月31日 / 最終更新日 : 2019年2月7日 gendaihaiku 現代俳句コラム 米値段ばかり見るなり年初状 小林一茶 評者: 後藤 章 またまた一茶である。今度は米の値段を気にしている。この句は一八二一年作、五七歳、最初の結婚をして子も居る。物価が気になるところだ。「たそがれ清兵衛」を書いた藤沢周平は「一茶」を書いている。彼は評伝を三作書いた。歌人長塚 […]
2009年8月21日 / 最終更新日 : 2019年2月7日 gendaihaiku 現代俳句コラム 日の本や金も子をうむ御世の春 小林一茶 評者: 後藤 章 また一茶である。「金も子をうむ」とは利息、金利のことである。日本における利息の歴史は757年に施行された養老令の雑税の一種「出挙(すいこ)」まで遡れるようだが、これは記録上のことで、利息という観念は人間の欲と同時に生ま […]
2009年8月11日 / 最終更新日 : 2019年2月7日 gendaihaiku 現代俳句コラム 寝て涼む月や未来がおそろしき 小林一茶 評者: 後藤 章 一茶には他にも「未来」を使った句がある。 花の影寝まじ未来が恐しき けふは花見まじ未来がおそろしき 一茶はよっぽど「未来」が怖かったと見える。仏教でいう「未来」は、存在するものが変遷してゆく姿としてとらえ […]
2009年8月1日 / 最終更新日 : 2019年2月7日 gendaihaiku 現代俳句コラム 十薬と肝干してある名越かな 前田吐実男 評者: 伊東 類 十薬は通称「どくだみ」、特有の匂いと共に生薬として利用されることは周知のとおりである。 肝は肝臓、きもであり、肝心なポイントを象徴している。漢方薬であるから良く乾燥させて使用されるわけだが、それといっしょに自分の肝( […]
2009年7月22日 / 最終更新日 : 2019年2月7日 gendaihaiku 現代俳句コラム 麦こがし人に遅れず笑ふなり 桑原三郎 評者: 伊東 類 麦こがしなんて食い物は、小さな子どもが十円玉かそこいらをつかんで、駄菓子屋へ駆け込んでいって買い求めるような庶民のお三時というものではなかったであろうか。ほんとうにそんなものであったと思う。その駄菓子屋も今は無い。十円 […]
2009年7月11日 / 最終更新日 : 2019年2月7日 gendaihaiku 現代俳句コラム 仕事失うている梅雨の二階をおりる 栗林一石路 評者: 伊東 類 現在、日本の失業率は5%をいよいよ超えた。昨年秋以来のリーマンショックで非正規切り、派遣切りが本当に厳しい段階に入った。そして正規切りにまで失業の手は伸びている。「働くということ」はどういうことなのか、人間にとってどの […]
2009年7月1日 / 最終更新日 : 2019年2月7日 gendaihaiku 現代俳句コラム 夢醒めて冬日の藁でありしかな 松林尚志 評者: 安西 篤 最新句集『冬日の藁』の表題とした句。著者四十三年ぶりの第二句集だという。数々の著書をものしておられる碩学のイメージからは、信じられないほどである。 筆者は、海程創刊の年の四号で、阿部完市、松林尚志氏とともに同人になっ […]
2009年6月21日 / 最終更新日 : 2019年2月7日 gendaihaiku 現代俳句コラム 日の暮に人釣っており浦島草 前田吐実男 評者: 安西 篤 句集『鎌倉抄』所収。その〈あとがき〉で作者の俳句観を述べている。「俳句には、その言葉を越えた筈の感性を表現するのに、その越えた筈の言葉に頼らざるを得ないという矛盾がある」と。何年か前に著者が講演で、〈非人称〉の俳句とい […]
2009年6月11日 / 最終更新日 : 2019年2月7日 gendaihaiku 現代俳句コラム 曼珠沙華在来線のために咲く 大牧 広 評者: 安西 篤 曼珠沙華は、秋彼岸の頃、田の畔や川沿いの土手に一斉に咲くので、墓参ついでに花見にでかける人も多い。おまけに金子兜太の「曼珠沙華どれも腹出し秩父の子」が有名なので、山国の花の印象がある。群落は当然鄙びた在来線の人里近くに […]
2009年6月1日 / 最終更新日 : 2019年2月7日 gendaihaiku 現代俳句コラム 風ゆく通夜くずれゆくもの眼をひらき 川崎三郎 評者: 山崎 聰 川崎三郎といえば、論客で酒好きだったという印象が強いが、当時氏の俳句そのものを見た記憶があまりなかったからだろう。 句集『北の笛』は、その刊行年からすると、氏の三十一歳のときの句集ということになるから、多分初めての句 […]