曼珠沙華在来線のために咲く 大牧 広 評者: 安西 篤

 曼珠沙華は、秋彼岸の頃、田の畔や川沿いの土手に一斉に咲くので、墓参ついでに花見にでかける人も多い。おまけに金子兜太の「曼珠沙華どれも腹出し秩父の子」が有名なので、山国の花の印象がある。群落は当然鄙びた在来線の人里近くに生息する。
 だからこの句は、ごく当り前のことを書いているようだが、あえて「在来線のために」と捉えたところに、作者の地肌が見えている。つまり、過疎が進み廃線も危惧されるような在来線のために、花のせめてもの華やぎを添えようとしていると見るわけだ。
 大牧さんは今年の現代俳句協会賞を受賞した。他の候補者と比較してみても、特に華麗な映像や技法があるわけではない。地道な日常感により、作者の人柄が匂い立つようなまなざしで切り取ってゆく作風。そこにはなんの衒いも仕掛もない。ひたすら滑稽なまでの無骨さがあるばかり。それでいて読後感がほのぼのとしてくるし、なによりも誠実で温かみのある人柄が見えてくる。それが選考委員のまんべんない支持を得た所以だろう。
 掲句は、最新句集『冬の駅』に収められている。その〈あとがき〉にいう。
 「駅は、どんなに交通事情が発達しても、人々の暮らしの原点に思えてならない。出会い、別れやよろこび、悲しみなどが、つましく確かに交わされる場所である。まして、北風が吹く冬、うららかな日も差す冬であればこそ駅への思いは強くなる。そんな思いをこめ、本句集のタイトルとした。」
 この句の曼珠沙華も、在来線の駅近くに咲く小さな群落に違いない。その作者が、大輪の花のような賞に輝き、その主宰する結社『港』の二十周年に花を添えた。
 心からお喜び申し上げたい。

出典:『冬の駅』

評者: 安西 篤
平成21年6月11日