米値段ばかり見るなり年初状 小林一茶  評者: 後藤 章

 またまた一茶である。今度は米の値段を気にしている。この句は一八二一年作、五七歳、最初の結婚をして子も居る。物価が気になるところだ。「たそがれ清兵衛」を書いた藤沢周平は「一茶」を書いている。彼は評伝を三作書いた。歌人長塚節を書いた「白い瓶」と新井白石のことを書いた「市塵」である。「市塵」は白石が一介の儒者から幕府の政策決定者になって行く姿を追っているが、なかでも小判の改鋳をやって物価を高騰させ、自分は私腹を肥やした大悪党荻原重秀勘定奉行との暗闘がハイライトだ。しかし昨今ではこの荻原重秀は優秀な経済官僚で、その改鋳も元禄期の貨幣経済成長に見合った政策であったと変りつつある。金そのものの価値で交換できた時代から、金の含有量が少なくても、小判の一両は一両としての信用で交換される名目貨幣の時代を切り開いたとも言われている。つまり現在は公定歩合で調整する通貨量、ひいては物価を改鋳で調整したのが荻原だという評価である。改鋳は八度行われている。わが一茶は四度目の元文(1736年)の改鋳の後に生まれているが、この改鋳は成功して八十年間経済の安定期をもたらし、なだらかな経済成長を遂げた時代だったらしい。だからこの句は米の値段の高騰を嘆いているのではなく、もしかしたら一茶はなんらかの米投機に手を出していて気にしていた可能性がある。「悪の世界は、そこからひとまたぎの距離にあった」と藤沢周平が書く俳諧師の世界の水を、一茶はたっぷり飲んでいた。どこに株価を気にする現代人と一茶の違いがあろうか、ありはしない。江戸は現代なのだ、少なくとも一茶の句はその気で読むとおもしろい。

出典:『一茶俳句集』(岩波文庫)

評者: 後藤 章
平成21年8月31日