仕事失うている梅雨の二階をおりる 栗林一石路 評者: 伊東 類

 現在、日本の失業率は5%をいよいよ超えた。昨年秋以来のリーマンショックで非正規切り、派遣切りが本当に厳しい段階に入った。そして正規切りにまで失業の手は伸びている。「働くということ」はどういうことなのか、人間にとってどのような意味を持っているのか、欲望を満たすための手段獲得なのか、まったく不透明で混迷の状況はおそらく、今しばらく続くことになろう。
 掲句は、作者が、1927年(昭和2年)7月、改造社を辞職したときの作である。平成の現在と取り巻く状況は全く異なるが、失業によって職を失う切なさは変わっていない。24年に長男が生まれ、26年に次男が生まれ、まさに乳飲み子を背負っての失業、そこから流れ出る困窮の血潮が、「梅雨の二階」という設定に淡々と示されている。もちろん、一石路自身はそのような境遇を苦にすることもなく、状況に立ち向かう姿勢(詩性)はありありとうかがえるのであるが、子どもたちはそうはいかない。古沢太穂の解説によれば、その5ヶ月後の12月、新聞連合社(共同通信社の前進)に就職することになるが、その間、家族の絆はどのように結ばれていたのだろうか。
 一石路の俳句における活動は、29年の句集『シャツと雑草』ですでにその方向は定まっているし、改造社時代の影響は血肉にまで染みわたっている。
「7月、改造社をやめて失業」と題して、
  屋根屋根の夕焼くるあすも仕事がない   一石路
という句が並んでいる。どちらかと言えば、この句の方に情が素直に出ているようである。掲句と合わせて、現代の俳句は、失業というある意味では人間性の排除をどのように詠むことができるか、興味のつのるところである。

出典:古沢太穂編『栗林一石路句集』の内「シャツと雑草」より

評者: 伊東 類
平成21年7月11日