2015年12月21日 / 最終更新日 : 2019年1月11日 gendaihaiku 現代俳句コラム 恋ってさ雷みたいにやってくる 上田眞奈美 評者: 網野月を 上五「恋ってさ」で切れを生じている。「さ」が言い放ちになっているが、現代語の切れ字の働きをしているのだろう。同時に客観的な作者の視点も微かに窺えて、おそらくは作者自身に起きた出来事だろうと想像はするが、自らの恋心を突き […]
2015年12月11日 / 最終更新日 : 2019年1月11日 gendaihaiku 現代俳句コラム かな女忌や石の平らに水を盛り 山本紫黄 評者: 網野月を 山本紫黄の句は、その師西東三鬼のニヒリズムの裏返しのような作風と言ったら、あまりにも俳諧的な評になってしまうかも知れない。現代俳句の作家として位置付けるのが妥当だろうと考えるが、「俳句の職人」と評されていたことを思うと […]
2015年12月1日 / 最終更新日 : 2019年1月11日 gendaihaiku 現代俳句コラム 生涯の影ある秋の天地かな 長谷川かな女 評者: 網野月を 「それまでの苦難を乗り越え、新天地・浦和を愛し、ここを生涯の地と決めたという、秋の日のしみじみとした気持ちを詠んだ俳句である。」とこの句を刻んだ句碑(さいたま市浦和区岸町三丁目、調神社境内)の説明文にある。かな女の句は […]
2015年11月21日 / 最終更新日 : 2019年1月11日 gendaihaiku 現代俳句コラム 地の涯か秋潮聴くにみな口あけ 古田冬草 評者: 十河宣洋 地の涯は、細谷源二の句が有名であるが、この句には捨てがたい風土を感じる。日本海の重い海の色と冬を迎える準備に追われる人々の生活が見えてくる。 地の涯かといったん切って、自問する作者の心とふっと手を休めて聴く潮鳴り。周 […]
2015年11月11日 / 最終更新日 : 2019年1月11日 gendaihaiku 現代俳句コラム 車組むや一滴の油地にひらく 長谷部虎杖子 評者: 十河宣洋 北海道の雪解けの頃のあちこちで見られた風景。雪解けを待ちながら、納屋の前で土の匂いを嗅ぎながら、馬車やリヤカーなどの整備をする。整備というより納屋に仕舞ってあった馬車などを組み立てながら、錆を落としたりしながら油を差す […]
2015年11月1日 / 最終更新日 : 2019年1月11日 gendaihaiku 現代俳句コラム とびからすかもめもきこゆ風ゆきげ 金尾梅の門 評者: 十河宣洋 昭和23年の作品。俳句はもっとやさしく書くべきではなかろうかという作者の思いが込められている。このころの梅の門には、かな書きの作品が多い。学校では昭和22年4月からひらかなが採用され、新聞などもひらかな・現代かな遣いに […]
2015年10月21日 / 最終更新日 : 2019年1月11日 gendaihaiku 現代俳句コラム 気絶して千年氷る鯨かな 冨田拓也 評者: 神野紗希 私は毎晩夢を見る。高校二年生のクラスで、友人とお笑い芸人の真似をしては笑いこけていた思い出を再現した夢。核戦争後の世界で、倉庫にアジトを構え、仲間と身を寄せ合って生きていく夢。空を飛ぶ夢。夫が浮気する夢。ゾンビと化した […]
2015年10月11日 / 最終更新日 : 2019年1月11日 gendaihaiku 現代俳句コラム 切株はじいんじいんと ひびくなり 富澤赤黄男 評者: 神野紗希 切株が、じいんじいんと響いている。ただそれだけだ。なのに、なんでこんなに切なくなるのだろう。 「じいんじいん」というオノマトペは、「じんじん痛む」とか「じいんと感動する」などといった使われ方をするので、伐られた切株の […]
2015年10月1日 / 最終更新日 : 2019年1月11日 gendaihaiku 現代俳句コラム しづかなる水は沈みて夏の暮 正木ゆう子 評者: 神野紗希 自転車登校だった高校時代、行き帰りによく川原に寄ってボーっとしていた。別に友人が少なかったわけでも、不良だったわけでもないが、土手に寝転がって川の流れを見つめているのが好きだったのだ。川は停滞しない。必ずどこかへ流れて […]
2015年9月21日 / 最終更新日 : 2019年1月11日 gendaihaiku 現代俳句コラム 切通し抜け紺碧の揚羽となる 橋本輝久 評者: 伊藤政美 この句は橋本の第三句集『殘心』に収録されている。 一言で言えば、『殘心』は私には重い句集である。第一、俳句に対する向き合い方が違う。 橋本は、「あとがき」で「小学校一年のときに生地の広島で原爆に遇った。戦後四十年経 […]