気絶して千年氷る鯨かな 冨田拓也 評者: 神野紗希

 私は毎晩夢を見る。高校二年生のクラスで、友人とお笑い芸人の真似をしては笑いこけていた思い出を再現した夢。核戦争後の世界で、倉庫にアジトを構え、仲間と身を寄せ合って生きていく夢。空を飛ぶ夢。夫が浮気する夢。ゾンビと化した知人に追われる夢。芭蕉と曾良の旅に加わって、美味しい茸鍋を食べる夢。私がまだ生まれていないころ、父と母が恋人として岬を歩いている夢。
 カーテンから差し込む朝日が、顔にきらきらとちらついて目が覚める。こちらの世界に戻って来たあとも、しばらくは夢の世界の名残が感情を支配していて、布団の中で、高鳴る心臓を深呼吸して整えたり、ふっと涙をこぼしたりする。そして、ふと考える。私がさっきまで見ていた夢の世界は、私が目覚めたあと、どうなったのだろうか。私を失って、世界は崩壊して無くなったのか。それとも、いまでもパラレルワールドのように現実の世界と並行して存在していて、この時空には、私が見た夢のぶんだけ、世界が在るのだろうか。
 東日本大震災のとき、私は東京でアルバイト先にいた。地下にある小料理屋で一人で店番をしていたら、大きな揺れ。揺れるワイングラスを必死に手で押さえたが、あまりの揺れの大きさに、見捨てて外に飛び出した。昼の銀座の歩道には、通りに出てきた人が溢れ返っていて、なぜかみな空を仰いでいた。買い物から帰ってきた店主が、あろうことか自転車に乗っていて地震に気付かなかったらしく、「何見てるの?日蝕?」と言った。深夜にやっと動いた地下鉄でワンルームの下宿に帰宅し、ダウンコートのままベッドに寝た。
 私は、その現実の延長を今生きている。そういう気持ちでいるが、この現実は、実はあれから私が見ている長い長い夢で、本当はあの地下の店で死んでいたのだとしたら。眠りこけたベッドの上で、ダウンコートのまま、実は目覚めなかったのだとしたら。いや、震災よりもっと前に、私の命はとっくに尽きていて、私はいま、目覚めない長い長い夢を見ているのだとしたら。さいきんテレビから流れてくる信じられないようなニュースを見るにつけ、出来の悪い夢の中にいるような気分になる。
 冨田の句の鯨は、突然訪れた自らの死に気付かないまま、氷の中に閉じ込められて、千年を過ごしてしまった。そして、誰にも見つかることなく、今も氷河の中に閉じ込められている。死というのは、そのように、自覚なく訪れるものなのかもしれない。私は、この句の鯨が氷の中で見続けている夢のことを、ときどき考える。そして、目を閉じて、遮るもののない海原をゆく一頭の鯨になって、深く深く沈んでゆく。

出典:『青空を欺くために雨は降る』

評者: 神野紗希
平成27年10月21日