2013年9月11日 / 最終更新日 : 2019年1月24日 gendaihaiku 現代俳句コラム 風吹いて蝶々迅く飛びにけり 高野素十 評者: 柳生正名 個人的なことだが、太宰治が身を投げた上水べりに住んでいる。両のきりぎしには、まだ武蔵野の雑木林の面影が残り、水の流れは風を呼ぶ。おかげで、この句そのままの光景をしばしば目にする。太宰はどうだったろう。 昭和4年6月号 […]
2013年9月1日 / 最終更新日 : 2019年1月24日 gendaihaiku 現代俳句コラム ぶつかる黒を押し分け押し来るあらゆる黒 堀 葦男 評者: 柳生正名 数年前にインターネットで検索したところ、「発表時に読んでいると分かる句かも知れないが、現在この句のみを上げられてもよくわからない」という、この句への論評に出会い、少し驚いた。第1句集「火づくり」に収められた葦男の、とい […]
2013年8月21日 / 最終更新日 : 2019年1月24日 gendaihaiku 現代俳句コラム 針葉のひかり鋭くソーダ水 藤木清子 評者: 田中亜美 針葉とは、葉が針のように細長いマツやスギなどの針葉樹のこと。「針葉のひかり」とは、一瞬、触覚にも視覚にも痛みが伴うような閃光それ自体を指しているのだろう。そして、そのような光が、明滅するものとして、鮮やかなグリーンの色 […]
2013年8月11日 / 最終更新日 : 2019年1月24日 gendaihaiku 現代俳句コラム 天が下雨垂れ石の涼しけれ 村越化石 評者: 田中亜美 「天が下」とは、国土、天下、全世界のこと。句の大意は、全世界を背景に、今ここで、雨のしずくの滴っている石の何と涼しいことだろう、となろうか。雨の降っている最中と読めないこともないが、個人的には、雨の上がった直後の句、き […]
2013年8月1日 / 最終更新日 : 2019年1月24日 gendaihaiku 現代俳句コラム 気球とねむらず北ドイツ人フォークト教授 阿部完市 評者: 田中亜美 深夜、霧がかった雲が、のっそりと動いてゆくような、しずかな憂愁をたたえた情景である。「北ドイツ人フォークト教授」は、実在の人物とも架空の人物ともどちらともとれるだろう。フランスやイタリア、あるいはアルプス山脈を頂く南ド […]
2013年7月21日 / 最終更新日 : 2019年1月24日 gendaihaiku 現代俳句コラム ばくだんもはなびもつくるにんげんは 前田霧人 評者: 松下カロ 2013年4月15日午後。ボストンマラソンの華やかなゴール付近で起きた爆発テロは、三人の命を奪い、二百人近い負傷者を出した。犠牲者はみな若く、うち一人は八才の少年だった。街頭監視カメラの働きで実行犯が特定された。銃撃戦 […]
2013年7月11日 / 最終更新日 : 2019年1月24日 gendaihaiku 現代俳句コラム 泣きながら青き夕を濯ぎけり 高澤晶子 評者: 松下カロ 数えきれないほどの女性が、夏の宵、泪を流しながら衣を洗い、濯ぎ、そして干した記憶を持っている。陽がようやく傾く頃、びしゃびしゃと水を撥ね、腕に思い切り力を込めて洗濯物を絞る。白く光る飛沫。洗濯機万能の時代でも、女には、 […]
2013年7月1日 / 最終更新日 : 2019年1月24日 gendaihaiku 現代俳句コラム われ遂に富士に登らず老いにけり 川端康成 評者: 松下カロ 富士山が世界遺産に加わることとなった。今夏は例年に増して多くの登山者がこの美しい山を訪れることだろう。富士を詠んだ句は数多いが、これは異色の一作。川端康成の小説『山の音』(1954年)の主人公の心をよぎった遠景の富士で […]
2013年6月21日 / 最終更新日 : 2019年1月24日 gendaihaiku 現代俳句コラム 白鳥の正面という妙な位置 宇多喜代子 評者: 大畑 等 宇多喜代子の俳句の特徴は句が生まれる現場を強く感じさせるところにある。更に言えば、作者と対象の接触面から句が立ちあがってくるアクチュアルな感覚に満ちている。この句の「白鳥の正面」が「妙な位置」、これがそうなのである。通 […]
2013年6月11日 / 最終更新日 : 2019年1月24日 gendaihaiku 現代俳句コラム いちじゆくやプラットホームも夢の端 金子 晋 評者: 大畑 等 句集『花骨集』より 。 小さな私鉄の小さな駅。プラットホームの端に無花果が生っている。いつもの駅なのであるが、焦点を合わすでもなく景を眺めているうちに、ああこれは夢の端、夢の続きではないかと思った。このようにこの句の […]