2007年4月2日 / 最終更新日 : 2019年2月21日 gendaihaiku 現代俳句コラム 菜の花のどこをくすぐったら光る 村井和一 評者: 安西 篤 菜の花を擬人化して、そのどこかをくすぐったら光ってくるにちがいないとみている。そこには、作者の遊び心と、菜の花へのアニミスティックな親しみが通う。 すでに菜の花は、明るい春の光のなかに息づいているのだろうが、一体あの […]
2007年3月9日 / 最終更新日 : 2019年2月21日 gendaihaiku 現代俳句コラム 夜ざくらの坂より座敷の中見ゆる 横山房子 評者: 寺井谷子 夜桜の下のそぞろ歩き。「座敷の中」の措辞が、一邸とでもいうような佇まいや、それまでそこを占めていたろう宴の気配まで想像させる。「坂」の設定もよく働く。夜桜の闇の先にはそこに居た客の姿があるかもしれない。ちらと目にした景 […]
2007年2月5日 / 最終更新日 : 2019年2月21日 gendaihaiku 現代俳句コラム 鎌倉を驚かしたる餘寒あり 高濱虚子 評者: 寺井谷子 「定本虚子全集」の第五巻(昭和23年、創元社発行)の「自句自解」には、〈俳句外國語譯註釋原文〉〈俳句朗讀原文〉〈音楽を背景としての俳句朗讀原文〉の三本があり、虚子の仕事の巾を伝える。中でも〈俳句外國語譯註釋原文〉は、訳 […]
2007年1月15日 / 最終更新日 : 2019年2月21日 gendaihaiku 現代俳句コラム 獏枕なにがなんでも吉夢とす 宇多喜代子 評者: 寺井谷子 めでたくも新しき年を迎えられたこと思う。掲句、会長職を引き受けられてからの怱忙を重ねると(勿論、この一句は会長就任以前の作だが)、身につまされるものがある。 それにしても、現代の女流作家(これも昨今「女流」ではなく、 […]
2006年12月5日 / 最終更新日 : 2019年2月21日 gendaihaiku 現代俳句コラム マラソンのおくれた首を消さずに振る 林田紀音夫 評者: 寺井谷子 ’06年の喜びの一つに、「林田紀音夫全句集」刊行がある。待ちかね、遂には海程社の「戦後俳句作家シリーズ」の薄い一冊を(このシリーズは賞賛に値する)宝と抱くのみか、と思っていたところへの刊行であった。宇多喜代 […]
2006年11月2日 / 最終更新日 : 2019年2月21日 gendaihaiku 現代俳句コラム 落日の獣身を寄せ嘆き合う 三谷 昭 評者: 寺井谷子 新興俳句事件を身を以って体験し、「暗鬱の抒情」と評される初代協会会長三谷昭。冬の気配を感じるようになると、いつも〈暗がりに檸檬泛ぶは死後の景〉と共に胸中に吟ずる。 〈昭和22年の作。戦後の飢餓状態に置かれた民衆の、弱い […]
2006年10月16日 / 最終更新日 : 2019年2月21日 gendaihaiku 現代俳句コラム 父の日をお前は誰と哀します 永井一朗 評者: 寺井谷子 九月に開催された第20回「村上鬼城顕彰全国俳句大会」で、私が特選に採った一句である。群馬県、高崎市を挙げて支援している大会で、実行委員長を吉田未灰氏が務めておられる。同時に既発表作品30句を対象とした「村上鬼城賞」も発 […]
2006年8月31日 / 最終更新日 : 2019年2月21日 gendaihaiku 現代俳句コラム 秋風のまん中に山羊つながれる 富田敏子 評者: 田中不鳴 句集『ものくろうむ』に収録の句。帯の吉行和子抄出10句、跋の小宅容義鑑賞22句の中にこの句はない。従って私の鑑賞眼が有名俳人と違って、まともでないのかも知れないが、この句私の眼を捕えて離さない。言葉に寄り掛からず、機知 […]
2006年8月3日 / 最終更新日 : 2019年2月21日 gendaihaiku 現代俳句コラム 広島や卵食ふ時口ひらく 西東三鬼 評者: 田中不鳴 三鬼が被爆後の広島を訪れたのは、所用で江田島へ行った帰りの昭和21年の夏。その頃構想を得たか、作られたと思われる。三鬼の自句自解では「未だに嗚咽する夜の街。旅人の口は固く結ばれてゐた。うでてつるつるした卵を食ふ時だけ、 […]
2006年7月10日 / 最終更新日 : 2019年2月21日 gendaihaiku 現代俳句コラム 歩き続けて蛞蝓と並びけり 桑原三郎 評者: 田中不鳴 休まずにずっと歩き続けて来たのだが、この世で一番歩みが遅いと思っていた蛞蝓に、追付き並んでいただけだった。句意はそうだが実際に足で歩いて来たことでは勿論ない。蛞蝓を偶然見たときに、その遅さと自分の来し方が、脳裏で響き合 […]