2014年12月11日 / 最終更新日 : 2019年1月11日 gendaihaiku 現代俳句コラム おれが死んでも桜がこんなに咲くんだな 漆畑利男 評者: 田中 陽 季節的にはすこし早いが、あえて桜の句を挙げた。作者、漆畑利男にとってこの句は代表作の一句と見て間違いなかろう。作者自身、一九八九年刊行の生涯ただ一冊の句集も、この句の上句「おれが死んでも」をそのまま書名としている。事実 […]
2014年12月1日 / 最終更新日 : 2019年1月11日 gendaihaiku 現代俳句コラム 不眠症に落葉が魚になっている 西川徹郎 評者: 田中 陽 作者が高校生時代の、俳壇デビュー作といわれている。処女句集『無灯艦隊』の冒頭の作品である。 団塊の世代の中でも特に鋭敏な感覚・思想を持した作者の第一作ということで、たくさんの評者(俳人だけではない)がわれもわれもと取 […]
2014年11月21日 / 最終更新日 : 2019年1月11日 gendaihaiku 現代俳句コラム 梟となり天の川渡りけり 加藤楸邨 評者: 江中真弓 先行する句に昭和五十九年作の〈天の川わたるお多福豆一列〉がある。秋の夜空に白じろとかかる天の川を、お多福豆がぽつぽつ並んでわたってゆくという、幻想的でユーモラスな句である。ある時の心象風景であろう。お多福豆は亡くなって […]
2014年11月11日 / 最終更新日 : 2019年1月11日 gendaihaiku 現代俳句コラム しづかなる力満ちゆき螇蚸とぶ 加藤楸邨 評者: 江中真弓 人の気配を感じてか、草むらにじっと動かない螇蚸がいる。こちらも動かずに息をひそめ目を凝らしている。動かないのは力が抜けているのではなく、全身に力を漲らせているのだ。と、次の瞬間、螇蚸は勢いよく跳躍、飛翔したのだった。昆 […]
2014年11月1日 / 最終更新日 : 2019年1月11日 gendaihaiku 現代俳句コラム 隠岐やいま木の芽をかこむ怒濤かな 加藤楸邨 評者: 江中真弓 高等学校の国語の教科書で、はじめてこの句に出会った。どこまで理解できたか覚えていないが、青山短大に入学して加藤楸邨の名を見つけて驚き、隠岐の句の作者なのかを教授室に確かめに伺ったことを思い出す。不躾な私達に真摯に向き合 […]
2014年10月21日 / 最終更新日 : 2019年1月11日 gendaihaiku 現代俳句コラム 空へゆく階段のなし稲の花 田中裕明 評者: 近藤栄治 この句の「空」を、死を意識した天上とする読みがある。そうかもしれない。作者の意識は「空」に在って、下界から天上を眺める遺された者の目線、という読みもある。こうした鑑賞は裕明の死の直後に書かれており、免れがたいことだと思 […]
2014年10月11日 / 最終更新日 : 2019年1月11日 gendaihaiku 現代俳句コラム 鉄を食ふ鉄バクテリア鉄の中 三橋敏雄 評者: 近藤栄治 この句の句形で思い起こすのは、飯田龍太の「一月の川一月の谷の中」(第五句集『春の道』所収1971年)だ。龍太の句が先だという指摘があるが、句集の出版時期で判断したもので、実際の制作時期は違う。『眞神』(1973年)の後 […]
2014年10月1日 / 最終更新日 : 2019年1月11日 gendaihaiku 現代俳句コラム 夢の世に葱を作りて寂しさよ 永田耕衣 評者: 近藤栄治 この句は、「夢の世に葱を作りて/寂しさよ」と読むのだろう。/のところにちょっとした間合いがある。普通の文章の形なら、「夢の世に葱を作ることの寂しさ」となる。この場合接尾語の「さ」は、「・・・ことの寂しいことよ」と感動の […]
2014年9月21日 / 最終更新日 : 2019年1月11日 gendaihaiku 現代俳句コラム 毬つけば男しづかに倒れけり 吉村毬子 評者: 武田伸一 毬子を俳号とする、吉村さんの処女句集『手毬唄』の一句である。一々数えてはいないが、「毬」あるいは「手毬唄」の句は、十指に余るはずである。「毬」に対する吉村さんの拘りは何か、いささか興味のあるところではあるが、今はそれを […]
2014年9月11日 / 最終更新日 : 2019年1月11日 gendaihaiku 現代俳句コラム 鬼灯市や子規に恋の句あればなあ 松田ひろむ 評者: 武田伸一 「鬼灯市」は7月9・10日の両日、東京浅草寺の境内に立つ市で、鉢植えのホオズキを売る。その鬼灯市には、夫婦連れや若いカップルも大勢来ている。そんな光景を目にしながら、ここからそれほど遠くない根岸で、重病に喘ぎながら、寝 […]