梟となり天の川渡りけり 加藤楸邨 評者: 江中真弓

 先行する句に昭和五十九年作の〈天の川わたるお多福豆一列〉がある。秋の夜空に白じろとかかる天の川を、お多福豆がぽつぽつ並んでわたってゆくという、幻想的でユーモラスな句である。ある時の心象風景であろう。お多福豆は亡くなって星になった懐かしい人たちかもしれない。やがて自分も・・・。漠とした明るい生死観を私はこの句から感じる。
 楸邨は生涯に数多く「天の川」を詠んでいる。戦時下の中国大陸で仰いだ鮮烈な印象が心を去らなかったからだろうか。が、このような不思議な句はこれまで詠んでいない。新しく、自在で豊か、明るくひろやかな世界が拓かれており、魅せられる。
 さて、掲句はそれから九年を経た平成五年の作である。空想のお多福豆が楽しそうに渡っていった「天の川」を、この句では楸邨自身が「梟」になって渡っている。楸邨は梟が好きだったようだ。「梟」と化してひとりとぼとぼ天の川を渡ってゆく心情には寂しさが滲むが、時間も空間も超えた独創的発想と広大なる宇宙観には目を瞠るものがある。空想のお多福豆から、「梟」になりきって自在に時空を往き来しているところ、更なる進境と言えないだろうか。八十八歳で亡くなった、その年の作である。同じ最後の年に、
  落椿そこにわが句を追ひつめぬ
とも詠んでおり、最後までみずみずしさを失わなかった感性と強靭な精神に打たれる。
楸邨は未知の世界に向かって絶えず前進し、挑戦し続けた作家であった。楸邨の俳句は、楸邨という人間と一つのものであり、多くの人を惹きつけるのは、その生き方に励まされるからであろう。
 
出典:句集『望岳』
評者: 江中真弓
平成26年11月21日