鞦韆をゆらして老を鞣しけり 八田木枯 評者: 山田征司

 黒澤明監督の「生きる」のラストシーン、ブランコに揺られる名優志村喬の深く哀しげな微笑と「ゴンドラの唄」、名場面が感動と綯い交ぜに蘇る。とは言え、共に老を語って半世紀余はさすがに永い、その在り様は大いに異なる。
 収録の句集『夜さり』にはこの他、直接「老」を扱った句は、〈人老いて供養踊の手をふやす〉〈少年は必ず老いて夏惜しむ〉〈人なりに人は老いけり花めうが〉〈老人を巻き込んでゆくけいとう花〉〈生きてゐるうちは老人雁わたし〉等々十余句、以てその存念も見えてこないか。「あとがき」にも、「老の句を意識して詠まないという人もいるが、・・・・」とあるように、老は久しく負のイメージのうちにあった。今ここに、正負何れとも言わぬ自然の「老」が。
 掲句の遊び心、漢字の偏に革を三つ揃えてその最後を「鞣す」と結ぶとみれば、「鞦韆」又の名を半仙戯、半ば仙人になるような気分がするからという。一筋縄ではいかぬ茶目っ気に、鞦韆も虚実の間を大きく揺れる。
 さらに鞣されているのは「老」の心身ばかりではない。集の語句も作者の思いのまま鞣されながら、読み手を頷かせることは引用句からも推察されよう。「老を鞣す」とは云い得て妙というか、発見でもあろう。
 今を生きる飄々たる老人の「老」の肯定がある。
   
出典:『夜さり』2004年9月 角川書店
評者: 山田征司
平成27年1月1日