夢に見れば死もなつかしや冬木風 富田木歩 評者: 照井 翠

 富田木歩は、2歳の時に高熱を発したあと、両足がきかなくなり歩行不能となった。身体の障害と貧困ゆえに小学校に通うことができず、かるたやめんこで文字を覚えた。姉たちは花街に身を売られ芸妓となり、父が亡くなり、弟が結核で逝き、花街に身を売られ半玉になった妹も結核に倒れ、木歩も感染し、やがて母が亡くなる。
 これほど過酷な境涯を、私は他に知らない。
 掲句には「亡き人々を夢に見て」との前書きがある。
 大切な家族を次々に失った木歩は、亡き人々のことを、ふと夢に見ることがあったのだろう。念の強さが、見たい夢を引き寄せたのかも知れない。
 冬の木立を吹き抜けていく冷たい風の音を聞きながら、木歩は昨夜の夢を静かに反芻しているのだろうか。たとえ夢のなかでのこととはいえ、亡くなった家族や親しい人と再会できたのだ。それは、どれほど懐かしく、嬉しい再会であっただろうか。
 「夢に見れば死もなつかしや」と詠み、死の側、あの世の側から、己の人生を照らし出す。木歩の心を占める思いは、死というものに対する親しさ、懐かしさであった。
 しかし、たとえ這って動く生活だとしても、家族を次々に失ったとしても、どんな過酷な運命を与えられたとしても、木歩は生きるということを放棄したりはしない。
 木歩の人生とは、ただひたすら運命を「受け容れる」人生だったのではないか。
 平明な言葉で、誰にでもわかる表現で、己の境涯を深々見つめ、言葉に紡ぐ木歩。そのシンプルな言葉が、読む者の心に自然に静かに浸透してくる。
 死の側から、己の人生を照射する俳句。ここには、僻みも諦念もない。そんなところを突き抜けた、澄みきったひとりの人間とその表現世界があるだけだ。
 
出典:『定本木歩句集』
評者: 照井 翠
平成27年2月1日