貌が棲む芒の中の捨て鏡 中村苑子 評者: 照井 翠

 一読、女性の性(さが)や情念のようなものを感じる一句である。
 芒の中に捨てられた鏡。群れ茂る芒の茎の合間から、その鏡の面が見えている。その鏡に、貌が棲むというのだ。シュールで耽美的な世界に誘われる。
 この句のどこにも、女の鏡とも、女の貌とも詠まれてはいない。しかし、日に何度も己を映し見る鏡となれば、まずは女性を想起するし、捨て鏡となれば、そこに至るドラマに思いが行く。ましてや、鏡に棲むとなると、もはや尋常ではない深い事情があると察せられる。いずれにせよ、この句のただならぬ情念の世界は、女でこそ生きると思う。
 この句を読むと、『源氏物語』に登場する六条御息所を思い起こす。光源氏を愛するあまり、嫉妬や憎悪にかられ、相手の女に憑依し、祟り、とり殺してしまう高貴な女性だ。
 彼女の抑圧された恨みや執念は、その肉体を離脱し、物の怪となって悪さをする。自分の衣服から、護摩に用いる芥子の香がすることに気づき、自分が葵の上にとり憑いていたことに愕然とする場面は、その絶望的な苦悩が読み手にリアルに伝わってくる。
 かねてより好きな一句であるが、東日本大震災で被災し、亡骸に掌を合わせる日々が続いたことを契機に、これまでとまた違った思いで向き合うこととなった。
 巨大津波により、家も家財道具もことごとく破壊された。泥の底に、川の蘆原に、物と物との隙間に、あらゆる物たちは波の力でびっしりと詰まり、取り出すことができなかった。鏡も櫛もあった。津波に呑まれる前まで使っていた愛用の鏡であれば、もはやその人の分身である。成仏できぬ魂が、その鏡に棲みつき、もうどこへも行けない…。鏡は、魂の依り代。この世に念を残し苦悩に歪む貌が、鏡の面に浮かんでは消える。
 人も辛いが鏡も辛い。持ち主の無念を受けとめきれない、鏡の苦悩にも思いをいたす。
 
出典:『水妖詞館』
評者: 照井 翠
平成27年2月11日