2010年6月1日 / 最終更新日 : 2019年2月5日 gendaihaiku 現代俳句コラム 粽結う死後の長さを思いつつ 宇多喜代子 評者: 大牧 広 「死」をこのようにあっけらかんと詠んだ俳句を私は余り知らない。「死」は絶対的であるゆえに人々は半ば恐れて内側へ入りこもうとしない。永遠に無になることが「死」であることを判っていても一定以上を踏みこもうとしないのである。 […]
2010年5月21日 / 最終更新日 : 2019年2月5日 gendaihaiku 現代俳句コラム 果樹園がシャツ一枚の俺の孤島 金子兜太 評者: 大牧 広 果樹園という陽光を思わせる舞台がまず読む人に示されて気持を開放的にさせる。そしてどうこの句が完結するか、それは「孤島」という内向きの言葉で完結させている。ここに金子兜太という作家の姿を見る。 すでにこの句によって金子 […]
2010年5月11日 / 最終更新日 : 2019年2月5日 gendaihaiku 現代俳句コラム 火の奥に牡丹崩るるさまを見つ 加藤楸邨 評者: 大牧 広 この句には長い前書がある。それを書く。「五月二十三日、夜大編隊侵入、母を金沢に疎関せしめ上州に楚秋と訣れ、帰宅せし直後なり、わが家罹災」 この「火」は当然焼夷弾による炎上させられた火である。紅連の炎の中に崩れてゆく牡 […]
2010年5月1日 / 最終更新日 : 2019年2月7日 gendaihaiku 現代俳句コラム 花林檎まばたきしつつ牛生まる 照井 翠 評者: 後藤昌治 私の見たことのない光景である。林檎の花は晩春の頃、白色の五弁の花を開き、蕾はピンク色をしているという。さぞ清澄な感じのするものであろう。作者は岩手県の人である。 一昨年私は、所用で青森から岩手へ回る小さな旅をしたが、 […]
2010年4月21日 / 最終更新日 : 2019年2月7日 gendaihaiku 現代俳句コラム 窓押し開き招き入れしは夜と霧 坂戸淳夫 評者: 後藤昌治 坂戸淳夫の最後の句集『彼方へ』の冒頭にある句である。そしてこの句は前句集『異形神』の最後近くに 窓押し開き招き入れるは夜と霧 と一字違いで載っている。この一字の違いで再度次句集に載せたことに作者の絶対的拘りがあった […]
2010年4月11日 / 最終更新日 : 2019年2月5日 gendaihaiku 現代俳句コラム 東海に言語は澄めり春の雪 橋本輝久 評者: 後藤昌治 一見、気宇壮大な句の感じがするのだが、感覚的に鮮明に私に迫ってくる。まず「東海」の定義なのだが、東方の海、日本国の異称、東海道の略、朝鮮からの日本海の呼称などとあるが、伊勢神宮のお膝元の伊勢市に住んでいる作者のことを思 […]
2010年4月1日 / 最終更新日 : 2019年2月5日 gendaihaiku 現代俳句コラム ヒロシマの氏神は何をしていたのか 川名つぎお 評者: 田付賢一 川名つぎお氏の句集『尋』で、氏の戦争をモチーフとした作品に多く出会った。その中でもこの句の印象は鮮明だ。氏の裡にある怒りのようなもの、悲しみのようなものが鋭く伝わってくる。 川名氏は昭和十年、私は昭和十六年生まれであ […]
2010年3月21日 / 最終更新日 : 2019年2月5日 gendaihaiku 現代俳句コラム 春の水あふれひとりを持てあます 大高 翔 評者: 田付賢一 私が最初に大高翔に会ったのは、まだ彼女が立教大学の二年に在学中の頃だった。ある新聞の取材に同行して、その頃翔がひとり暮しをしていた池袋の2DKのマンションを訪ねた時である。 その輝く眸をまっすぐ向けて「わたしの日日が […]
2010年3月11日 / 最終更新日 : 2019年2月5日 gendaihaiku 現代俳句コラム 遠山に日の当たりたる枯野かな 高濱虚子 評者: 田付賢一 現役の教師(女子中学・高校)だった頃、教科書に出てくる句の心情を生徒たちに理解させるためにずいぶん苦労したものだ。 たとえばこの句の解釈について指導書には次のように書かれている。 「行く手のはるか向うに見える山には日 […]
2010年3月1日 / 最終更新日 : 2019年2月5日 gendaihaiku 現代俳句コラム ねむりても旅の花火の胸にひらく 大野林火 評者: 豊田都峰 俳句は叙事詩と説明される。実際短詩形を追求するとき、納得は出来るが、叙情詩であるとも言いたい。物を思いを託してこそ俳句的骨格は出来るが、和歌的なリズムも一概に捨て切れない所に私の苦闘がある。 私淑した長谷川素逝作品も […]