ねむりても旅の花火の胸にひらく 大野林火 評者: 豊田都峰

 俳句は叙事詩と説明される。実際短詩形を追求するとき、納得は出来るが、叙情詩であるとも言いたい。物を思いを託してこそ俳句的骨格は出来るが、和歌的なリズムも一概に捨て切れない所に私の苦闘がある。
 私淑した長谷川素逝作品も「ホトトギス雑詠評」におうおう俳句的骨格の無さを取り上げられていたことを知っている。
 水原秋櫻子が昭和六年、『自然の真と文芸上の真』ということで、「ホトトギス」を離脱、叙情性を持ち込んだのであるが、その流れにもある一人が林火と考えるが、昭和一四年『海門』のあふれるような叙情性の作品は注目されたと聞く。
 掲句は林火作品の中で一番好きな作品。説明すれば直ちに褪せてしまう。読めば直ちにしみじみとした情感がまさしく胸に広がる。
 『古今和歌集』巻二・紀貫之の作品。
  宿りして春の山辺に寝たる夜は夢の内にも花ぞ散りける
 『山家集』西行の作品。
  春風の花を散らすと見る夢は覚めても胸のさわぐなりけり
 林火がこれらの作品を知っていたかどうかは分からないが、先輩の和歌的世界と匹敵する俳句的世界である。
 俳句の短詩形、これに挑むところに作る者の嬉しさがあるが、難しいとされる叙情詩的な傾きは、私の路線の大きな宿題であるが、胸に俳句の花火を開かせたいと念じている。

出典:『冬雁』昭和二二年作

評者: 豊田都峰
平成22年3月1日