果樹園がシャツ一枚の俺の孤島 金子兜太 評者: 大牧 広 

 果樹園という陽光を思わせる舞台がまず読む人に示されて気持を開放的にさせる。そしてどうこの句が完結するか、それは「孤島」という内向きの言葉で完結させている。ここに金子兜太という作家の姿を見る。
 すでにこの句によって金子兜太像を見てしまったが、今一度この俳句をじっくりと楽し見たい。
 「果樹園」、この設定から南欧の伊豆の又は小豆島などが自由にイメージすることができる。深い青色の海と太陽の下でオレンジかオリーブが実って熟れている。その場所に来たのは若者か屈強な男か、とにかくシャツ一枚だけの男、そしてその果樹園が自分の孤島=城だというのである。
 こうした表現から私は映画「ゴッド・ファーザー」のコルシカ島のシーンを思い出す。あの映画は悪の世界を描いていたが、つねに主人公達は悪ゆえの苦さを身に沁みて行動をしていた。ゆえに彼等の思考や行動には知性さえ感じられたものだった。
 この金子兜太の俳句にはその味わいがある。解放と閉鎖との表現の綾がそう思わせるのである。
 金子兜太のこの句の延長線上の俳句に、
  粉屋が哭く山を駈けおりてきた俺に
  林に金星麦こぼれゆく母郷
  二十のテレビにスタートダッシュの黒人ばかり
 がある。
 栄光と挫折といえばよいのだろうか、尋常でない意識が織りこまれていて金貨が降ってくるような詩的なたかぶりを覚える。この読後感は至福と言ってよいものである。

出典:『金子兜太句集』昭和三十六年
評者: 大牧 広
平成22年5月21日