2003年11月27日 / 最終更新日 : 2019年2月22日 gendaihaiku 現代俳句コラム 波倒れたる音一つ夏蓬 宇佐美魚目 評者: 森下草城子 夏の蓬の茎は木質化していて一メートル以上も伸びて、ときには視界を遮ることもある。太平洋の波は内海と異なり、大きく盛り上がり、いっぱいに伸びきって、前のめりに倒れこむように浜辺に寄せてくる。作者はこのかたちを十分に承知を […]
2003年10月30日 / 最終更新日 : 2019年2月22日 gendaihaiku 現代俳句コラム 吉良常と名づけし鶏は孤独らし 穴井 太 評者: 森下草城子 生きものと同じ目の高さにおいて感情を共有出来ることはよいことだ、と思っている。このことは簡単そうであるが、相通じるということになると容易ではなかろう。通い合っていると思っていたことが、突然無視されることがある。こんな繰 […]
2003年10月2日 / 最終更新日 : 2019年2月22日 gendaihaiku 現代俳句コラム 曼珠沙華どれも腹だし秩父の子 金子兜太 評者: 森下草城子 毎年、曼珠沙華が咲く時期になると、必ずこの作品を思い出す。秩父という山峡、その山間の地が醸し出す景を直に捉え得ている。明るく、開けっ広げて屈託のない子供の日常、自然の申し子の世界とでも言いたいものがある。秩父という風土 […]
2003年9月1日 / 最終更新日 : 2019年2月22日 gendaihaiku 現代俳句コラム 長き夜の楽器かたまりゐて鳴らず 伊丹三樹彦 評者: 津根元潮 昭和十三年の作で日野草城の「旗艦」誌の入選句として登場した。楽器の鳴らない不安さ、見ていても、聞いていても楽器は鳴るためにあるだけに、鳴らない不安と、それもかたまっている楽器が鳴らないという点が、たえず今日的で、いま作 […]
2003年8月4日 / 最終更新日 : 2019年2月22日 gendaihaiku 現代俳句コラム 誰かわざや天衣あかるむ花菜など 伊丹三樹彦 評者: 津根元潮 法隆寺・百済観音という前書きがある。これは昭和十八年に大阪高槻の連帯本部付として軍籍にあり、除隊まで炊事班長の席にあった。作者に感服するのは、日曜日の休日外出の殆どを、京・大和の古寺巡礼に当て、仏像俳句で約三百余を作句 […]
2003年7月1日 / 最終更新日 : 2019年2月22日 gendaihaiku 現代俳句コラム 滝がうがう何纒ひても無一物 渡辺恭子 評者: 倉橋羊村 滝の前に立つと、借りものは一切通用しない。持って生まれた素質と、自覚して努力を重ね、辛うじて身についたものだけで、立ち向かわざるを得ない。表面的に学んだ知識などすべて借りものである。水原秋櫻子の「冬菊のまとふはおのがひ […]
2003年7月1日 / 最終更新日 : 2019年2月22日 gendaihaiku 現代俳句コラム 古仏より噴き出す千手 遠くでテロ 伊丹三樹彦 評者: 津根元潮 昭和三十五年の作。この感懐は現在でも通じる。作者は、これを批判的リアリズムによる生活俳句の実践と称して、不安な三十年代の日本社会を背景に、新しい時代の到来を訴えた。そしてこの時期こそ社会性俳句が、ともすれば社会主義イデ […]
2003年6月2日 / 最終更新日 : 2019年2月22日 gendaihaiku 現代俳句コラム 寒雷や耳の奥よりあなたといふ 加藤楸邨 評者: 津根元潮 これも楸邨の未発表句である。あなたは貴方なのか、彼方任せのあなたなのか、分別のむつかしいところ。呼びかけていて、また呼ばれている、とも感じられる。一番むつかしいのは、作者の位置であり、存在でもあろう。いま思うのは、楸邨 […]
2003年5月12日 / 最終更新日 : 2019年2月22日 gendaihaiku 現代俳句コラム 白牡丹繰返していふことはせず 加藤楸邨 評者: 津根元潮 一見平凡な相を持つ作者の同じく未発表句だが、<鰯雲ひとに告ぐべきことならず>の同作者の句に似ている。この白牡丹の句も白牡丹だけにイメージを当てて、作者は沈黙を守っているだけなのだ。できるだけ自己表現を抑えて何を言いたい […]
2003年4月7日 / 最終更新日 : 2019年2月22日 gendaihaiku 現代俳句コラム 瞬いて桜の花となりゆけり 加藤楸邨 評者: 津根元潮 楸邨の未発表作品であるが、そのおおらかな詠みぶりに注目したい。瞬くということは今咲いているということなのだが、一見平凡に見えて一語の瞬きという表現が利いていると観る人と、中七以下の表現では平凡と考える人とに解釈が分かれ […]