長き夜の楽器かたまりゐて鳴らず 伊丹三樹彦 評者: 津根元潮

 昭和十三年の作で日野草城の「旗艦」誌の入選句として登場した。楽器の鳴らない不安さ、見ていても、聞いていても楽器は鳴るためにあるだけに、鳴らない不安と、それもかたまっている楽器が鳴らないという点が、たえず今日的で、いま作られた作としても充分に理解でいるのではないか。
 この句の出来た頃は、戦争中であったにも拘らず、モダニズムを志向していたし、戦争中でも、女、人妻、未亡人、悪人、恋というテーマが戦争俳句と両立していたバランス、アンバランスの交錯が目立った時代だった。
 三樹彦は言語空間の中に、あくまで自己的な歩みを心得て「虫の夜の洋酒が青く減っている」などの句を作っていたが、翌十四年夏には応徴となるが、姫路青野原演習場へ派遣される。そんな戦争の匂いのする中の楽器がかたまっていて鳴らないというのも今から考えてみると意味性を持った一句となり、今も新しさを保っている。
 
評者: 津根元潮
平成15年9月1日