誰かわざや天衣あかるむ花菜など 伊丹三樹彦 評者: 津根元潮

 法隆寺・百済観音という前書きがある。これは昭和十八年に大阪高槻の連帯本部付として軍籍にあり、除隊まで炊事班長の席にあった。作者に感服するのは、日曜日の休日外出の殆どを、京・大和の古寺巡礼に当て、仏像俳句で約三百余を作句した。普通なら軍隊の休暇兵は、酒食の多い処で気を休めるのだが二十三歳の若き三樹彦は、酒色、女色をすべて遠ざけた仏像の美しさに魅せられて、休暇をすべて仏像美を求めて回る旅に当てた。その頃の国宝百済観音は法隆寺の廊の中にあって言わば露坐同然のまま佇立していた。伝統では遠き世にほかの寺から移されてきたという。しかしその優美な姿は他に例を見ない。
 
評者: 津根元潮
平成15年8月4日