2004年10月4日 / 最終更新日 : 2019年2月22日 gendaihaiku 現代俳句コラム 秋風や芭蕉の終の峠にて 藤本安騎生 評者: 和田悟朗 昨日(十月三日)、奈良県平群町(へぐりまち)で、例年十月第一日曜に行なっている道詮忌献句会が開かれ、百人ほどの俳人が集った。平群は西に生駒山、東に矢田丘陵があり、その谷には竜田川が流れる南北に細長い地形だ。かつて芭蕉は […]
2004年9月2日 / 最終更新日 : 2019年2月22日 gendaihaiku 現代俳句コラム 金剛の露ひとつぶや石の上 川端茅舎 評者: 小宅容義 何十年も前、フランスの映像作家による実験映画なるものを見た。プロットもなければ人間も不在。光と影だけで構成された得体の知れぬ映像だったが、何か物の本質を探求しようとする迫力に満ちていた。俳句だと差詰め純粋俳句とでもいう […]
2004年8月9日 / 最終更新日 : 2019年2月22日 gendaihaiku 現代俳句コラム 藤の実やたそがれさそふ薄みどり 富田木歩 評者: 小宅容義 木歩といえば、夏の意識に片寄った印象の「我が肩に蜘蛛の糸張る秋の暮」(大正6年)とか、「秋風の背戸からからと昼飼かな」(大正10年)に代表されるように、境涯の俳人として著名。幼くして歩行の自由を奪われ、小学校へも行けず […]
2004年7月5日 / 最終更新日 : 2019年2月22日 gendaihaiku 現代俳句コラム 扇風機止り醜き機械となれり 篠原 梵 評者: 小宅容義 篠原 梵(1910~1975)は、川本臥風の推選で臼田亜浪の「石楠」に入ってから、めきめき頭角をあらわし、豊かな感性と深い知性による清新な作風で一時期の俳壇を魅了した。彼の句は、何か西欧的な匂いが漂っていると言われたの […]
2004年6月7日 / 最終更新日 : 2019年2月22日 gendaihaiku 現代俳句コラム 二人ゐて二人とも桃すする音 岸本さち子 評者: 小宅容義 夫婦と桃しかない小さな空間に充満する静謐。「すする音」は、その景をいよいよ深めているようだ。恩愛とも、孤絶とも、奇妙な感情が綯い交ぜになったような想い。ある時の一瞬を掬い上げた極めてシンプルな描写の中に作者は夫婦の生き […]
2004年5月1日 / 最終更新日 : 2019年2月22日 gendaihaiku 現代俳句コラム 襟巻や畜類に似て人の耳 西島麦南 評者: 小宅容義 冬の季題で恐縮だが、この句、ほとんどの歳時記に採用されていて有名である。小学校の頃、ひくひくと耳を動かせる子がいた。犬や猫と同じなのが不思議でならなかった。 掲句の「人の耳」は別に動く訳ではないが、耳だけに注目すると […]
2004年4月5日 / 最終更新日 : 2019年2月22日 gendaihaiku 現代俳句コラム 雪明り一切経を蔵したる 高野素十 評者: 小宅容義 高野素十は、ホトトギスの黄金時代を創った四S(秋桜子・誓子・青畝・素十)の一角を担った虚子の高弟。その中で、客観写生を生涯のテーゼとして追求した希有の一人である。即ち、主観的方法を極力排除し、単純化した即物的表現に徹し […]
2004年2月26日 / 最終更新日 : 2019年2月22日 gendaihaiku 現代俳句コラム ばつた飛び磐井勢力圏に入る 野見山ひふみ 評者: 森下草城子 初め、この作品を読んだ時、ばったが飛び込んだ広大な世界を描いていた。しかし磐井が八女地方の豪族であることを知り、八女市出身の知人に資料を届けて貰った。それによると、磐井は、五世紀から六世紀にかけて、九州北部一円に強大な […]
2004年1月29日 / 最終更新日 : 2019年2月22日 gendaihaiku 現代俳句コラム 少年来る無心に充分に刺すために 阿部完市 評者: 森下草城子 掲出の作品をはじめ、「絵本もやしてどんどここちら明るくする」「うすく書かれて山から山へ行った隊」「あまのはら白い傘さして三月」等、昭和三十年代後半から四十年代前半にかけて、数多くの阿部作品に魅了されていたことを思い出す […]
2004年1月8日 / 最終更新日 : 2019年2月22日 gendaihaiku 現代俳句コラム 少年をこの世に誘い櫻守 和田悟朗 評者: 森下草城子 現代は何かにおいて多様化している時代、一つのことに拘り、これを生涯貫き通すということが難しくなっている。しかし、それ故に一つに絞ってみたい思いがある。そんな生き様があってもよかろう。つまり、一つに絞ったことに徹しきると […]